トントンと手際よく野菜を切り、鍋でじっくり煮込んでスープを作る。高野久美子さんにとってのその料理は、大腸がんになってから始めた大切なひと皿です。
「簡単にできて、味の変化が楽しめるように作っているんです。私って飽きやすいから」と笑います。
高野さんが立つのは自身が営むカフェのキッチン。料理教室を開いているその場もまた、高野さんの支えになっています。食べることが好きだからこそ、泣きながらも料理に向き合ってきた日々について、お聞きしました。
文=晴山香織、写真=寺澤太郎
高野久美子(たかのくみこ)さん
愛知県名古屋市出身。2005年大腸がんを患う。その後、肝臓、肺への転移、手術を経て現在は経過観察中。幼い頃より料理やお菓子作りに興味を持ち、学生時代にイギリスやフランスへ短期留学。大学卒業後に製菓専門学校で学ぶ。お菓子教室を主宰しながら、講師やフードスタイリングなど幅広い仕事をこなしていた。がん発症以降、2013年にカフェを併設したお菓子料理教室「A piece of pie!」をオープン。2017年には自身の闘病を綴った『泣いて 笑って 食べた! 大腸がんステージ4を乗り越えて』(ゆいぽおと)を出版。
手軽にできてお腹にやさしい料理とは
高野久美子さんが体の不調を感じたのは2005年の夏。検査を受けて一度は良性のポリープと診断されたものの、別の病院で再検査をすると直径5cmほどの直腸がんが見つかりました。切除する手術を受け、腸を休ませるために一時的なストーマ(人工肛門)を造設し、お世話の仕方を身につけてからの退院でした。
「退院した時、いかに体力が落ちているのかを目の当たりにしました。体重が減っているのはわかっていましたけど、歩くだけで息が切れていたんです。食事をするのも体力がいるし。食べるってこんなに疲れるんだって知ったんです」
揚げ物などの油ものを避け、大好きな生野菜やきのこ類は消化しにくいため、量を控えるように。体力を回復させるには食べなければいけないと考えた高野さん。とにかく腸に負担の少ない食事を心がけました。
「いちばん避けたのは油で、他にも玉ねぎやニンニク、にらのような辛味や香りの強い食材も、腸の動きがよくなりすぎちゃって下痢をしてしまう。玉ねぎはガスが出やすいみたいで、ストーマがパンパンになってしまうという理由もあって食べられませんでした。トマトやきゅうりをそのまま食べるとお腹が大騒ぎになる。グルグル音がなってすぐ下してしまうんです。それでも野菜は食べたいと思っていたので、毎日スープを作るようになりました」
旬の野菜をたくさんとれて消化がいい。さらに、体力が落ちているなかで、洗い物も少なく手軽に作れるスープは、高野さんの強い味方になりました。
「鋳物の鍋やモロッコのタジン鍋を使った蒸し煮もよく作っていました。白菜やキャベツ、鶏肉やサーモンを入れて蓋をして加熱すればいいだけなので、すごく簡単。ちょっと物足りない時には、仕上げにえごま油やオリーブオイルをひとたらしして。それくらいならお腹にも影響なく食べられたんです」
油の量や種類に気をつけながら、手軽にできてお腹にやさしい料理を模索していったのです。
デパ地下で「食べられるものがない」と大泣き
「外食や加工食品って、意外と油が使われていることが多いんです。お弁当屋さんのご飯ですら、ツヤを出すために油を入れて炊いていたりする。だから私は1日3食、365日ずっと自分で作ったものを食べなくちゃいけないという状況でした。それに慣れるまでは辛くて泣いてしまうこともあったんです。デパ地下に行った時には『私には食べられるものがない……』って大泣きでした」
がんに罹患する前は、飲食店を営み、料理教室を主宰するという仕事柄、勉強の意味もあって外食も多く、ありとあらゆる食料品店にも足を運んでいたと言います。食べることが大好きで、仕事にまでした高野さんにとって、それまで楽しんで食べてきたものから離れなければいけないという状況は、とても辛いものでした。
「でもね、泣いていてもしょうがないし、食べられるものがないんだったら自分でなんでも作ってみようと考え直して。そう思えたことが気持ちを切り替えるポイントになったんだと思います」
体力が落ちている間は、宅配サービスを利用して旬の食材を取り寄せることに。そうしてスープや蒸し煮を作ることから始め、パンを焼いたり、調味料までも手作りするまでになったのですから、さすがです。
「たとえば、ケチャップだって自分で食べられる材料で作ればいいんだって考えたらすごく気が楽になりました。チーズも手作りするようになったんです。カッテージチーズやリコッタチーズ、さらにモッツァレラチーズまで自宅で作って『おいしい!』って思えて楽しくなっていきました。そうやって自分が食べられる食材を見極めて、備えるようになっていけたのはすごく支えになったと思います」
おいしい小麦粉さえあればパンが焼けます。あらかじめ水で戻す必要のない乾燥レンズ豆を常備しておけばスープに入れられます。さらに、食べきれなかったにんじんなどの野菜類は干し野菜にしてストックすることもあったそう。
「スープもペースト状にしておくと、気分によって味に変化をつけやすいんです。豆乳でのばすこともあれば、オレンジの絞り汁を加えてさっぱりさせることもあるし、お腹の調子を確認しながら牛乳を加えることもありました。私、飽きっぽくて同じ味を食べ続けることが嫌なんです」
ストーマ閉鎖で腸が大きく動き出す
そんな生活が5ヶ月ほど続いたのちに、ストーマ閉鎖手術へ。それまで休んでいた腸の半分が再び活動を始めるようになります。
「腸がバッタンバッタン動き出して、今まで感じたことのない痛みを経験しました。私の大腸は太いらしくて、大腸の手術後に起こりやすい腸閉塞の心配はなかったのですが、スムーズに動いてリズムを取り戻すまでは本当に辛かったです」
ストーマ造設時も閉鎖後も、食生活に大きな変化はなく、スープや蒸し煮が中心。少しずつ食べられる食材の種類や量を調節して、料理の幅を広げていきました。
「人体実験みたいなものでしたね。油ものを取るとお腹の調子が悪くなり、トイレへ行きたくなってしまう。外出するときはいつも用事のない駅で降りてトイレに行ったり、コンビニやカフェのトイレを借りたりしていたんです」
ストーマを閉鎖してからの腸は、冷えたりリズムが崩れたりすると、動きが鈍くなることもあれば、きっかけもわからずに急に動きが活発になりすぎてトイレへ行かねばならなくなることもありました。水分をとらないと脱水症状になりかねず、かといってとり過ぎれば下痢になりやすい。腸の状態をつかむまで大変だったと言います。
「何を食べたらお腹を下すのか、どれくらいの量なら大丈夫なのか、自分の体に向き合って料理をしては食べるという日々でした」
探り探りの生活を続けるうちに、腸の状態も安定し、それまで営んでいた飲食店へも復帰します。
「仕事を始めると、いい緊張感があるせいか、さらに腸の動きも安定してました」。高野さんにとっての仕事は、体にも心にもいい影響があったのです。
肝臓への転移後にイタリア、フランスへ
しかし、大腸がんが見つかった9ヶ月後に肝臓への転移が見つかります。直径5cmもの大きさのがんだったこと、治療としては肝臓の3分の2を切除しなければならないことを知り、高野さんはショックを受けます。
「肝臓を残す治療法はないかと、いろいろ調べるうちにどんどん不安になるし、同じことをずっと考えているのが辛くなって。ちょうど航空会社のマイルも貯まっていたので、それを使ってイタリアへ行っちゃったんですよね」
診断書を見せて機内の食事はベジタリアンメニューにし、席はトイレの近くに。イタリアへ行ってからは、調子の悪いお腹とつきあいながらの食事が続いたと言います。さらに、フランスへ寄ったというのですから、その行動力に驚きです。
「イタリアでは、お腹の調子が悪くなりがちでした。でも、お肉も野菜も自然な味わいでとてもおいしかったんです。フランスは以前留学していたこともあって、どこのお店にどんなメニューがあるかわかっていたので、比較的大丈夫でした」とケロリと話します。
2週間ほど旅行を楽しんで帰国してからは、手術を受けようと決められたと言います。
「手術するしかないとわかってはいたんです。イタリアとフランスに行って踏ん切りをつけられた感じですね」
高野さんはいつでもどんな時も、自分の気持ちに素直に向き合ってきました。行動することで気持ちを切り替えられる術を身につけ、病気を受け入れることもできるようになっていったのでしょう。
体と向き合い、食を見つめ直した日々
肝臓の手術後も食生活は変わらず、自分のお腹と相談しながら料理する日が続きます。2010年、2011年と肺への転移があり、手術を2回乗り越えました。その頃から体力が戻ってきたことを実感したと言います。きっかけがあったわけでもなく、少しずつ食べられるものが増えていき、気力も湧いてきました。
「お店を移転するために不動産屋さんを回ったり、実際に引っ越してからカフェを始めたりと、今よりもパワーがあったかもしれません」
体力と気力がついてくると、さらに気持ちが前向きになっていきます。それまで焼肉に行こうと誘われても断っていたのが、脂身が少なく、味付けの薄いジンギスカンなら大丈夫と出かけるように。自分に合う中華料理店を見つけたこともあり、外食を楽しむ機会が増えていきました。
「それまで神経質すぎたのかもしれませんね。自然食にしなくちゃとか思い込んでいた時期もあったんです。でも、自分の体調と相談しながら食べたいもの、食べられるものを探ってきたのが良かったんだと思います」
仕事も順調にこなせるようになり、料理を一層楽しむ時間が増えていきました。罹患前はお菓子メインの教室でしたが、今では料理を教えるクラスの生徒の方が多いと言います。高野さんにとって、仕事は前に進むエネルギーのような存在なのでしょう。
「がんになるまでは、暴飲暴食もしていたし、どこどこの新商品を食べてみなくちゃ、次はこれが流行るかもしれない、と食に対する意識が外に向かっていたんです。でも、がんになって、なんでも自分で作ってみようと思ってからは、そこから離れられた。自分の体に目を向けて料理することが、とても良かったと思うんです。それが今の仕事にもつながっていると思います」
そう話しながらスープを作り始めた高野さん。インタビューの場が一気にレッスンのようになりました。
「まず、玉ねぎをじっくり炒めることがポイント。焦がしちゃダメです。繊維が柔らかくなって甘くなるし、味に深みが出るんですよ」
にんじんやじゃがいも、玉ねぎなど野菜の旨味が染み出し、柔らかく煮込まれた金時豆やレンズ豆のおかげで食べ応えもたっぷり。体が芯から温まるおいしさです。取材時にスタッフでいただいた時には、その滋味深い味わいに思わず驚きの声が。
「ね、かんたんでおいしいって最高ですよね」とうれしそうに話す姿からは「食べられるものがない」と泣いていた高野さんは想像できないほど。
自分の体に向き合い、食べることを大切にしながら楽しんできたからこそでしょう。その満面の笑みで、高野さんはこれからも生徒さんを、お客さんを、迎え入れていくのです。
エピソードをひとさじ
記事中に登場したスープのベースは鶏ハムの煮汁。とってもおいしいスープですが、代用できそうな食材はないかお聞きしたところ、高野さんの回答は「ブイヨン、野菜やカツオのだし汁など、あるものでいいですよ。それが『おうちの味』ですものね」でした。料理はレシピの材料、分量だけにとらわれず、時に自由であっていい。自分の凝り固まった思考がほぐれた瞬間でした。高野さんのスープレシピは「がんサバイバーキッチン」に掲載されているので、ぜひお試しください。(編集部)わたしの逸品
豆と野菜のスープ
- 調理時間
- 30分以内
- 主な材料
- じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、レンズ豆
- 栄養価(1人分)
-
食塩相当量 1.2g エネルギー 211kcal たんぱく質 5.2g - 投稿者のコメント
- 大腸の手術をし、退院後の生活を支えてくれたのが温かいスープでした。野菜や豆がたくさんとれ、心も体もほっと癒やされる。レン......