食を見直すことは、自分の体を見つめること

2019年12月2日

 大腸がんを患って体重が86kgから56kgに減った川口健太朗さん。「見た目があまりに違うので、昔の友達に会うと2度見されるんですよ」と笑います。

 体重が落ちたのは病気のせいではなく、食生活を変え、運動を続けた結果でした。

「毎日食べるもの」が身近な良薬だと気付き、自分の体と真摯に向き合った川口さんの道のりを伺いました。

川口健太朗(かわぐちけんたろう)さん

1987年生まれ。神奈川県出身。2014年に大腸がん(S状結腸)ステージ3bと診断され、開腹手術を行う。直後に妻の綾さんと結婚。新婚生活は、6ケ月間にわたる抗がん剤治療とともに送る。術後5年が経過した2019年春に寛解。療養中は免疫アップを目指して野菜中心の食生活にシフトし、食生活アドバイザー、メンタルケア心理士などの資格を取得。現在は複数の患者会に参加し、自らの経験を生かした情報発信を積極的に行っている。

下痢が続いたのはお酒のせいと思っていた

「これ、がんですね」

 大腸内視鏡検査の最中に、医師からあっけなく告知された川口さん。画像を見ると、腸管の3分の2ほどが腫瘍でふさがれています。

「先生は思わず言っちゃった、という感じでした。僕自身は『ああそうですか』と冷静だったんですが、両親に話したら泣き出したので、これはまずいことなんだと慌てて調べ始めたんです」

 当時、川口さんは26歳。町工場に勤めており、仕事終わりは飲みに行くのが当たり前の生活。病気が発覚する約4ケ月前から下痢を繰り返していましたが、「飲みすぎのせい」と気にとめませんでした。

「深夜に帰宅する際、自宅マンションのエレベーターで下痢が我慢できないことが多発するようになって。それから仕事中に立っていられなくなるほどお腹が痛くなり、仕方なく病院に行きました」

 大腸がんと診断され、手術は開腹か腹腔鏡のどちらか。腹腔鏡の場合は傷跡が小さいというメリットはありつつも、腫瘍がとりきれなかったら開腹に途中変更するとの説明を受け「でしたら、最初から開腹してとってください」と川口さんは医師に告げました。

 手術前はステージ1か2だろうと言われていましたが、手術後にリンパ節を検査した結果は、27ケ所の転移が見つかり「ステージ3b」でした。抗がん剤治療も受けることになりました。

野菜ジュースの絞りカスも食べるように

「やるしかないからやる、という覚悟はありました。すぐに抗がん剤治療がスタートし、最初は意外とラクでこれなら大丈夫と思っていたんですが、回を重ねるごとにしんどくなってきて……」

 川口さんが行ったのはゼロックス+アバスチン療法。6ケ月にわたって点滴8回(アバスチン、オキサリプラチン)と薬(ゼローダ)を服用していく治療です。

「点滴をした1日か2日あとが一番辛いんです。だるさと吐き気がしんどくて、食欲はなくなるいっぽうでした。気持ちも落ち込んできて、家にこもる日が続きました」

 点滴の2回目で腕がしびれたため、3回目は違う腕にしてもらいましたがその腕も痛くなり、過酷さが増していきます。

「次第に冷感の症状が出てきました。フリスク2〜3個を口に入れているイメージですかね。舐めてると口の中が超冷たくなるじゃないですか。あれがずっと続くんです。常温の水でもすごく冷たく感じるので真夏でもお湯で手を洗っていました」

 そんな副作用を克服するため、免疫力を上げようといろいろ探した結果、行き着いたのが野菜中心の食生活でした。

「決め手はお金をかけずにすぐにできること(笑)。小松菜、キャベツ、ブロッコリー、大根は免疫力を上げる野菜だと聞いたので、なるべく食べるようにしていました。食欲がないときは野菜や果物のジュースを作って、なんとか栄養を摂ろうと心がけました」

栄養をしっかり摂るため、にんじん、りんごは皮をむかずにそのままミキサーへ。

 よく作っていたジュースはほうれん草、にんじん、りんごを使ったもの。さらに甘みがほしいときは、りんごをバナナに代えていました。ミキサーで野菜を液状にしたあと、茶こしで絞りカスを取り除き、飲みやすくしました。副作用で体調が悪くてもこれなら口にすることができたといいます。

「残った野菜の絞りカスはヨーグルトをかけて食べていました。そうすれば野菜をまるごと摂れますからね」

左がりんご、右がバナナ入りのジュース。りんごの方がさらりとした仕上がり。

 こうして、6か月に及ぶ厳しい抗がん剤治療も終えられました。しかし、毎回の点滴後に必ず訪れていた気持ちの落ち込みは、乗りこえるのが難しかったそう。

「気持ちを紛らわそうと、奥さんに隠れてお酒を飲んでいました。それでなんとか気分を上げることはできたんですが、最後の8回目の点滴のあと、いつものように嘔吐をしたら、血がどっと出たんです。俺はこうやって死ぬんだと、死を切実に感じたときに『ちゃんと生きよう』と初めて思えました」

 単に生きたいから生きるのではなく、「健康的に生きる」という強い信念が川口さんの中に芽生えた瞬間でした。

体が変わっていくのが楽しい

 野菜中心の食生活に変えてから、台所に立って自分で料理を作るようになった川口さん。

「料理するようになって素材そのもののことが気になり始めました。調べていくと、栄養のある土がいい、無農薬がいい、といろいろわかってきて、じゃあ自分で作った方がいいんじゃないかと思うようになったんです」。

 というわけで、家庭菜園で野菜を育てることにしました。

「ほうれん草、大根、白菜など、そのとき食べたいものを植えています。完全無農薬なので安心して食べられるし、ほうれん草なんかもえぐみがなくて、さっと茹でておひたしにするだけでおいしんです」

 週1回のペースで行っている畑仕事は、土に触れる時間が気持ちを癒してくれ、心のバランスを整えてくれているそう。

畑仕事は今年で3年目。家族で食べるくらいの少量を作っています。「農薬を使わないので虫にくわれてばかりですけど、それだけおいしいってことなんです」(川口さん)

 食生活を変えたことで自然に体重が落ち始め、体が変化していくことが楽しいという川口さん。がんになったときは86kgありましたが、抗がん剤治療で10kg減り、野菜中心にしてお昼も食べなくなりました。結果、さらに10kgダウンしました。体が軽くなってきたのを感じた川口さんはランニングを始めることに。

「町工場の昼休みに、最初はウォーキングから始めて、3ケ月たったら1分走れるようになって、どんどん距離を延ばしていきました。同じ距離でもタイムを短くしたり、距離と時間が数値化されるのが楽しんですよね。ランニングのおかげで、さらに10kg近く減りました」

 定期検査で病院に行くたびに、ドクターから「痩せたけど平気?」と心配されますが「めちゃくちゃ元気です」と答えるのがお約束になっていました。

妻の綾さんがいたからこそ前に進めた

 困難が訪れても柔軟な発想で進む川口さんのそばには、いつでも妻である綾さんの存在がありました。高校時代に出会ったふたりがいよいよ結婚というタイミングで、川口さんのがんが見つかったのです。

「僕の両親に彼女を会わせる会食の2日前にがんが分かったので、会食は中止に。その後、入院中の病院で両家が会うことになりました。入籍は、当初の予定通りに進めたのですが、それが手術後にステージ3bと言われた翌日だったんです。ふたりの暮らしは僕の抗がん剤治療の入院生活からのスタートでした。結婚にまつわることの前後に、いつも何かが起こるのが不思議です」

 病気と結婚が重なった二人にとって、延期やリセットいう考えはなかったのでしょう。入籍前から今に至るまで、川口さんにとって綾さんが支えとなっていたことがわかります。

 もし、綾さんがいなかったら、何かが変わっていたと思いますか? と伺うと「そうですね」と即答。

「結婚せずに、ずっと実家暮らしだったら『どうせ死ぬんだから遊びつくしてやる』という方向に走っていたかもしれない。今みたいに健康になる努力はしていない気がします。畑を始めたきっかけの一つにも、奥さんの言葉がありました。自分で料理を始めた時、野菜を蒸したり、鍋にしたりとシンプルな調理ばかりだったんです。それを見た奥さんから『それって作ってるって言わない』と冗談で言われたんですよね。で、僕が『だったら作るよ、野菜を!』となったんです(笑)。」

 川口さんがフードコーディネーターや食生活アドバイザーなどの資格をとったのも、綾さんに感化されたからだといいます。

「退院後はゲームばかりやってました(笑)。奥さんは資格好きで、宅建、行政書士を持っているんですけど、彼女が勉強している姿を見て、自分もやってみようかと思ったのがきっかけでした」

 綾さんは川口さんが前に進むための大事な原動力となっていたのです。

綾さんの実家の畑を受け継いでいる川口さん。「食べたい野菜をいろいろ育てています。うまくいかないこともありましたが、それはそれで楽しくて」(川口さん)

がんになったことで見えてきた使命

「僕はなんでがんになんだろうって、ずっと考えていたんです」

 そう話す川口さんは、患者さんたちと触れ合うがんサロンなどの活動に参加することで、がんになった理由を見つけ出していきます。

「がんサロンで、抗がん剤治療を前に泣いていた患者さんに『僕なんて酒飲みながら治療やってましたよ』とおもしろおかしく話していたら、『私、明日からがんばります』と笑って帰って行ったんです。そのときに、僕ががんになった理由はこれなんだと確信しました。自分の経験を伝えていくこと。『がんになってよかった』といえるようになったプロセスを発信していくことが、僕の使命だと思うようになりました」

 地域のクリニックでピアサポート外来も行うなど精力的に活動をしている川口さん。

「治療中、何を食べていいか分からないといった相談をよく受けます。大事なのは自分の体を知ること。僕は焼肉を食べるとなぜか元気がなくなるんですけど、人によって合う食材が違うんです。毎日便を見たり、日々のウォーキングなどの運動習慣があったりすると、ちょっとした体の変化に気づける。そのおもしろさを知ってほしいんです」

 自分の体と向き合ってきた川口さんは1日1.5食〜2食がベストだといいます。休日何も予定がない日は11時と16時ごろに食べ、ほとんどが季節の野菜を使った鍋。

「続けることが何より大事なのでストイックになりすぎないようにしています。外でしっかり食べた翌日は1食抜くなど、調整すれば罪悪感はなくなります」

 2019年の春にがん告知を受けてから5年が経ち、寛解しました。

「5年半で再発した話も聞きますし、不安はあります。でも死ぬときに、がんになってよかったとちゃんと思えるように、やるべきことを続けていきたいですね」

いるだけでその場が笑い声で満ちていく川口さんの明るさとエネルギー。彼が走れば走るほど、人が集まり、温かなネットワークが広がっていくようでした。

川口さんの活動の場でつながった、乳がん体験者コーディネーターの吉田久美さん(左)とピアサポート外来を行っている天野はるみさん(中央)。
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エピソードをひとさじ

取材時、川口さんの畑の後にお邪魔したのは、最後の写真に写っている天野はるみさんのご自宅。野菜ジュースを飲みながらお話を聞いた後に、天野さんと吉田さんがおでんや炊き込みご飯を作ってくださったのです。「がんサバイバーの集まりは、こういう場所でご飯を食べながらの方が話せることも多いんです」と、楽しそうにテーブルを囲んでいました。話しやすい環境を作るということも、がんサロンの役割なのだと実感させられました。

わたしの逸品

緑黄色野菜とバナナのジュース

調理時間
30分以内
主な材料
ほうれん草、にんじん、バナナ
栄養価(1人分)
食塩相当量0.1g
エネルギー147kcal
たんぱく質3.9g
投稿者のコメント
抗がん剤の副作用で食欲がないとき、野菜を食べて免疫力を高めたいという思いから作っていたジュースです。甘いものを口にしたい......

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