「うちの女房の料理はおいしいんですよ」と嬉しそうに話し、時にワハハと豪快に笑う姿が印象的な堀均(ほりひとし)さん。
18年前に肺がんの宣告を受け、体にいいものをと妻の真知子さんは盲目的になり、夫婦でぶつかり合うこともあったといいます。
どう考えを変え、どう乗り越えてきたのか、夫婦揃ってインタビューに答えてくれました。
今だからこそ笑って話す二人の姿からは、乗り越えるために夫婦がお互いに思いやってきたこと、そして、今もそれが続いていることを実感させられます。
文=晴山香織、写真=松浦弥太郎
堀 均さん(ほり ひとしさん)
1952年生まれ。石川県金沢市出身。日本対がん協会勤務。ボランティア活動も積極的に行っている。2000年に肺の扁平上皮がんの診断を受け、放射線治療を行う。翌年、肺腺がんが見つかり、放射線・抗がん剤治療を行う。2002年、別の病院で手術を受け成功するものの、副腎にもがんが見つかり、さらに手術で取り切る。2クールのみ抗がん剤治療をし、2003年退院してからは通院で検査と治療を続けた。
ズシリときた妻の思い
「たばことお酒は一切やめました。残業で外食が多かったけど、それもなし。仕事は続けられていたんですが、残業もやめました」と、18年前に肺がんを罹患してからのことを、堀さんは教えてくれます。
手術は無理ということで、通院での放射線治療がスタートし、それまでの生活や食について見直したと言います。
「ほとんど毎日家でご飯を食べるようにしたよな?」と、均さんが横に座る妻の真知子さんに確認します。
真知子さんは大きくうなずきながら「そうなんです。家で夕ご飯を食べ、23時には必ず寝る生活になりました」と続けます。
真知子さん自身は、家で食べるもの、均さんの口に入るものは「とにかく、体にいいものにしなければ」と、さまざまな情報を集め始めたと言います。
当時は情報が少なく、頼りになるのは書籍や広告、口コミなどでした。
「食材はもちろん、調味料も変えたし、健康食品も取り入れたし、煎じて飲むお茶も飲ませたし、人がいいということはなんでもやりました。今思えば、怪しいものもあったと思います。盲目的になってしまっていたんですよね」と当時を振り返ります。
均さんも思い出すように話を続けます。
「もうね、僕はそれが負担で仕方なくて。重荷だったんです。で、喧嘩が増えていったんだよな」と。
患者は俺!
そこまで真知子さんが必死になってしまったことには、理由がありました。
今までの食生活が良くなかったのではないか、自分が作った料理が原因ではないかと、自身を責めていたからです。それにね、と真知子さん。
「当時は『がん=痩せる』という認識が強くて。私たちはあまり周りの人たちに病気のことを話していなかったんです。そのせいか、この人(均さん)は体重が減ることにすごく敏感になってしまって。痩せたと思われたくないからって、『シナボン』って分かります? あればっかりおやつに食べてて、心配になった時期もあったんです」。
後悔と不安、心配が重なった末の真知子さんの頑張りでしたが、均さんにとっては、重荷となっていきます。
「あれを食べろ、これを飲め、こういうことをしろ、と言われてね。ちょっと咳をしただけで『大丈夫?』って聞かれて、『俺は咳もできないのか!』って怒ったこともあったよな?
いや、わかるんですよ、彼女の後悔も心配も知ってたから。でもね、正直、まずいものもあったから、なおさらストレスが溜まって『俺が患者なんだ、お前じゃないだろ』とぶつかり合うことが増えて」。
これではいけないと、二人で考え方を変えたと真知子さんは話します。
たばこ、お酒、外食 3つとお別れ
「だって、よく考えたら、夫はたばこ、お酒、外食のすべてをやめてるわけだから。それだけでもすごくいいことだ、と。だったらあとは、ストレスなく、おいしく食べられることを大切にしようと思い直しました。
私自身も追い詰められていたので、お互いに無理なくできることをやろうと。食生活に気をつけていたらがんにならないという証明はされていないし、気を配っていてもがんになってしまう人もいる。
そう考えたら、できることだけをコツコツやっていけばいいと思えるようになりました。食事は、1日3回、一生続くんですもんね」。
おいしいものが特効薬
均さんは、別に肺腺がんが見つかったものの、その後、手術ができるという医師に出会って転院。入院して手術を受け、抗がん剤を2クールのみ投与したこともあります。
「幸いなことに、味覚障害も食欲不振もなかった。ただ、僕は鶏肉が苦手でね」という均さんの話を受け、真知子さんが説明してくれます。
「入院食って、魚か鶏肉が多いんですよ。だから、おかずは全部魚にしてもらったんですが、それはそれで飽きてしまうでしょう?
そしたら先生が『奥さん、おいしいもの食べさせてください。食べることで元気になるならそのほうがいい』と言ってくださって。デパ地下でいろいろ買っていって、二人でお昼を食べてました」。
そんな話をしているうちに「あ!あれ、嬉しかったな」と均さんが思い出した話を続けます。
すすれなかったワンタン麺
「外食の許可が出た時にね、大好きだったワンタン麺を食べに行ったんですよ。若い頃通ってた四谷の『こうや』って店なんですけど、どうしてもそこのワンタン麺が食べたくて。
肺にたまる水を抜くために針刺して管通してドレーンつけてた状態なのに行ったんだよ、ひどいよね。それつけてでも、食べたかったんです。なのに、いざ食べてみたら、びっくりですよ。麺がすすれない。肺の一部をとったから、肺活量がないんです。
『これが僕の後遺症か』と思いながら、ひたすら麺を口に押し込んで噛んで飲み込んで、時間はかかったけど、あれはうまかった」。
そう楽しそうに話す均さんの横で、真知子さんもうなずいています。食べる楽しみを大切にしながら、辛い時も嬉しい時も、夫婦一緒に過ごしてきたのです。
やがて退院し、しばらくして飲酒の許可も出ました。現在は、サラダを食べながら晩酌をし、夕ご飯を食べるという毎日。食事としてはどんなことに気をつけているのでしょうか?
落ち着いたのは、究極シンプル
「いろいろ試してきたなかで、今も続けているのは、油です。サラダなどにかける生の油は亜麻仁油に、炒め物など熱を加える油はマカデミアナッツオイルに変えました。
あとは、白米から玄米に変えたり、砂糖をきび糖にしたり。うーん、野菜をいっぱい食べることも気をつけてますね。もともと主人は、ご飯や麺でお腹をいっぱいにするタイプだったので、まず野菜サラダをたっぷり出してそれでお腹が膨れるように。
そのあとに、脂身の少ないヒレとか赤身のお肉にしたり、焼き魚のこともあるし、肉と魚は毎日交互に食べるようにしてます。
最後にご飯と味噌汁。それが、我が家ではストレスなく楽しく食べられる献立なのかな」と真知子さんは話します。
何が食べたいか、どう食べたいのか 相手に聞くのがベスト
「僕らがいろんな時期を経て思うのは、作る人は、絶対相手に聞いたほうがいいってこと。
作る側にしてみれば、こんなものがおいしいの?って思うものでも、患者にとっては食べやすいものかもしれない。
食べたいもの、食べやすいものっていうのは、本人にしかわからないことも多いんです。
押し付けられて嫌だったこともあったけど、結果的に妻がいろいろ聞いてくれたので、楽しく食べられているし、食べて元気になってきたからね」と均さん。
食べる人も作る人も、ストレスなく、毎日続けられる食事を。試行錯誤したからこそ、ぶつかり合ったからこそ、辿り着いた結論です。
「うちの女房の料理はおいしいんですよ」と嬉しそうに話す均さんの笑顔が、食事を楽しんでいることの何よりの証なのです。
エピソードをひとさじ
最初にある堀さんご夫婦が並んでいる写真では、後ろの棚の上にお孫さんの写真がたくさん飾られています。「孫の存在は大きいですよ。一緒に旅行に行ったり遊んだり、笑い合うことで免疫力も上がっている気がするんです」と嬉しそう。よく作るメニューの一つが鍋というのも、娘さん家族と一緒に囲むのが楽しいという理由からだとか。「ストレスなく、日々を楽しむことが身体にとっていいと思うんです」という言葉通りの笑顔でした。わたしの逸品
野菜たっぷり洋風蒸し鍋
- 調理時間
- 1時間以内
- 主な材料
- 豚肉、にんじん、豆苗、きのこ、白菜
- 栄養価(1人分)
-
食塩相当量 1.1g エネルギー 246kcal たんぱく質 18.9g - 投稿者のコメント
- 肺がんを患った夫に、野菜をたくさん食べてほしいという気持ちから生まれたレシピです。夫だけ別のメニューにするのではなく、家......