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第25回 ゆったり時間のための、「こころの静養」・旅編
木口マリの「がんのココロ」

掲載日:2019年8月8日 9時00分

 前回に引き続き、「こころの静養」。今回は旅編です。  旅というと、キャリーケースやらボストンバッグやらをかついで行く、気合いを入れた旅行を想像するかもしれません。治療中や治療後しばらくは、そんな旅がムリな人も多いはず。少なくとも私は、まったくもってムリでした。  それでも旅は、自分のなかに新たな風を感じさせてくれるものでもあります。私も一歩だけ前に踏み出してみる気持ちで試したものです。


電車で一駅でも得した気分に

近場の旅で見つけたバス停のイス。
これらが並んだ経緯を想像してしまう。

 治療まっさかりの時でいえば、私の場合、「電車に乗る」というだけでも旅でした。  

「電車? 乗れば?」とお思いでしょうか。  チッチッチ。病気の治療はそれ相応の体力を奪うもの。いつもなら気にしたこともないような行為が、ちょっとした冒険くらいになってしまうのです。  

 また、病気や、それにともなう障害を持ったことで最もネックになるのは精神面です。ある日突然、身体に大きな異変が起きてしまうと、「もう何もできないのでは」「こんな身体になってしまった」との思い込みから、人に会いたくなくなったり、家から出ることが嫌になったりすることがあります。  

 私の場合でいうと、お腹に人工肛門が登場した直後は、家族にも、病棟で仲良くなった看護師さんたちにも、もちろん友達にも、病室に近づいてほしくありませんでした。自分がそんなに心を閉ざすなんて、思いもよらないことでした。  

 ともあれ、“電車初挑戦”のときの私の体力は、階段3段が「コレ、昇れるかな?」と思うくらいの低体力。駅まで歩いて、スロープや階段を昇り、ガタゴト揺れる電車に乗るのは、子供の「初めてのおつかい」くらいの気合いとワクワクがあったのでした。  

 久しぶりに乗る電車は新鮮で、まるで遊園地のアトラクションのよう。車窓の風景はどんどん流れていくし、差し込む光がキラキラとしてとても明るく、爽やかでした。ほかの乗客の無表情具合が逆に面白く見えたりして。これまで当たり前に乗っていた電車がそんな風に見えるなんて不思議。  

 どこまで行ったのかというと、隣の駅です。一駅だけ乗って降りて、駅前のカフェで休んで帰ってきました。それが旅になるなんて、人生をちょっと得した気分でした。


家から30分の小旅行


 宿泊をするとなると、もう少し大きな旅になります。まだそこまで元気ではないけれど、母の誕生日をどこか特別な場所で祝ってあげたいと思いました。  
 選んだのは、家から30分程度で行ける、ちょっとだけ高級なホテル。それでも日常から離れるには十分で、かなりの解放感がありました。  
 個人的にオススメしたいのは、2泊以上の連泊です。翌朝のチェックアウトを考えずにくつろげて、さらにリゾート感がアップ。もとよりご近所のため、あえてどこかへ観光に行く必要もなくゆっくりとホテルライフを楽しめました。体調が悪くなってもすぐに対応できるのも安心ポイント。  
 ご近所旅は、病気かどうかに限らず、日常をちょっとワクワクしたものに変えてくれます。ほんの少しの解放、ほんの少しの景色の変化であっても、心にはとても鮮やかな彩りとなります。こうして書きつつ、私もまた、どこか(ご近所へ)行ってみたくなりました。


南の島で何もしない

遠くのようで近い、南の島。

ただ波を眺めるだけの時間もなかなかいい。

 見知らぬ土地に行ったら、あれこれしなくちゃ! という、何というか「もったいない精神」みたいなのが一昔前にはありましたが、最近の私の旅は「自分なりのペース」が心地いいと感じています。  
 だから、遠くに行ってもあまり何もしません。といっても、この段階での体力は「1階分の階段がまあまあ普通に昇れる」程度の回復だったので、どちらにしてもたいしたことはできなかったのですが。  
 私が旅の場所に選んだのは沖縄本島や石垣島。東京に住む私にとっては、遥か遠くの南の島です。しかし空港まではバスがあるうえ、どちらも直行便が出ている地域。遠方への旅行であっても、アクセス方法によっては近場よりもラクに行けることもあります。  
 私の場合、「脱毛中(ちょび生え)+体力が落ちている+内部障害(人工肛門)がある、という状態でどれくらい不自由なく旅行ができるのか」という実験・検証の意味もありました。そのため、宿泊施設もリゾートホテルとコンドミニアムの2箇所で検証。  
 結論からいうと、「どちらもまったく不自由はない」という具合でした。特にコンドミニアムはキッチンやお風呂場、洗濯機などがあるマンションのようなつくりなので、「人にあまり会いたくないけど旅行がしたい」という場合にはかなり好都合。身近な人だけで過ごして、1日だれとも会わずにいることもできます。  
 砂浜に座ってサラサラとうつ波を眺めたり、気が向けば海岸沿いに車を走らせたり。考え事も何もせずに、そこにある時間をあるがままに過ごすのは、本当に心地良い。旅は、そんな時間の過ごし方ができる特別な場なのかもしれません。


以前と同じである必要はない

冬場の一人旅。だれとも会わず語らずくつろごうと思いきや、人懐こい町の人々としょっちゅう話し込む旅に。意外な展開もまたよし。

 がんになって、心身ともに疲れているとき、「好きだったあれもこれも、もうできない」と思ってしまうことがあります。それは思い込みかもしれないし、本当にできなくなることもあるかもしれません。  
 でも、以前と同じである必要はなく、他の人と同じである必要もないと思っています。  
 私が、がんや障害の経験のなかで思ったのは、心も体も、自分の意思とは関係ないところで修復が行われていて、それが整ったところで、自然に、前に一歩出るようになっているのだろうということです。  だから、心のブレーキがかかって思うようにできないときも、焦りもがんばりもしなくていい。心が「オッケー」というまで、時間をかけていいのです。  
 心の傷のつき方は人それぞれ。みんなが同じところで転んだとしても、それぞれに受ける傷の深さも、痛みの強さも違います。すぐに治る人もいれば、化膿を繰り返してしまう人もいるでしょう。みんな、受け止め方も心の治り方も違う。  
 何を言いたいのかというと、何をするにしても、形はそれぞれ好きにしていいんじゃないかということです。がんや脱毛や障害や、その他もろもろのいずれも、どうとらえるかは自由です。  旅にしたって、「一般的な形」なんて、どうでもいい。「いろいろ歩き回ると活力が出る!」という人もいるだろうし、静かに過ごす方が合っている人もいます。  
 でも、「自分には合わない」と思っていたことが、意外にも元気を呼び起こす場合も多々あります。新鮮な刺激が、次への活力になることも。  
なので、旅に出てみようかと迷っている場合は、ともかくやってみることをオススメします。やっぱり何か違うと思ったら、立ち止まっても、引き返してもいい。それも「好きにしていい」のだと思います。人は本来、自由なのです。


木口マリ
「がんフォト*がんストーリー」代表 執筆、編集、翻訳も手がけるフォトグラファー。2013年に子宮頸がんが発覚。一時は人工肛門に。現在は、医療系を中心とした取材のほか、ウェブ写真展「がんフォト*がんストーリー」を運営。ブログ「ハッピーな療養生活のススメ」を公開中。
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