遺伝、遺伝子、がんゲノム……。
「ゲノム医療の新時代!」「がん遺伝子パネル検査が保険適用に!」などのニュースが流れてからというもの、世の中の注目を浴びまくっている「遺伝」という言葉。しかし、それぞれ何がどう違うのかと問われると、「う〜ん、何だろうね」と、イマイチあいまいなのではないでしょうか。
それだけでなく、ちまたで言われる「がん家系」も、がん患者や家族にしてみれば「私の家系はみんながんになるの?」と、漠然とした不安を感じるものでもあります。
そんなモヤッとした疑問は、専門家におたずねするのが一番!「認定遺伝カウンセラー」として活躍する、田辺記子さん(国立がん研究センター中央病院遺伝子診療部門)にお話をうかがいました。
その前に、「遺伝カウンセラー」って何!?
第一の疑問。「遺伝カウンセラー」というと、「遺伝」に関する「カウンセリング」をしてくれるのだろうと想像はできますが、簡単に言うとどんなお仕事なのでしょうか。
「世の中には、『ある病気になりやすい体質』の人がいて、それがご自身の病気の原因になっていることがあります。『遺伝的な要素が、病気にどのように関係しているのか』『未然に対処する方法があるのか』『自分だけでなく、兄弟姉妹や子供や孫も同じ体質を持つ可能性があるのか』というような医学的な情報の提供や、『病気になるかも』『遺伝するかも』などの心理的な不安に対しての支援をするというのが、遺伝カウンセラーのお仕事です。本人だけでなく、家族も含めた支援を行っています」と、田辺さん。
現在、日本では約270名の認定遺伝カウンセラー®が活躍しており、様々な疾患に対する支援を行っています。遺伝子研究の進歩により、近年、特にがん領域でも注目される存在となってきました。
ところが、冒頭に記したように「遺伝性のがん」と「遺伝子の情報に基づいた治療」など、その違いがゴチャゴチャになってしまっているのが一般的。実際に「遺伝性のがんの相談をしたい」とやってきたら、実は治療を目的としていたということもあるそうです。
遺伝子の情報に基づいた治療とは、「本人のがん細胞の遺伝子を調べて、その遺伝子に効くお薬を使うなど、その人に最適な治療を行う」というもの。遺伝カウンセラーは治療には関与しないため、そのような相談があった場合は薬物治療を行っている医師へバトンタッチします。
「がん家系」のマチガイ!
「うちはがん家系だから」
私も言われたことがあります。言われたときは、ちょっと(だいぶ?)ムカッとしました(笑)。
私の家族にはまったくがんの人がいなかったのですが、母が肺がんになり、数年後に私が子宮頸がんを発症したことで、「うちはがんが多い!」と思い込んでしまったようです。そのため、まるで私が「がん家系を立証した人」としてタグ付けされているような気がしました。
と同時に、きちんとした知識がないのに、当然のことのように「がん家系だから」と言われたこともムカ・ポイント。でも、噂レベルの話が「事実」として、にわかに定着してしまうことはよくある話です(その見極めと発言には注意しなくちゃと、自分に言い聞かせる)。
そのへんも、しっかり田辺さんに聞いておかなくては!
「一般的なイメージは、『がんが多い=がん家系』というものですが、それは正確ではありません。たとえば、肺がんや子宮頸がんは、生まれつき遺伝子に異常があって起こるのではなく、環境要因でなることが多いがんです。また、胃がんや大腸がんは日本人に多いので、それらが家族に多く発症していても、必ずしもがん家系というわけではありません」
「でも、やっぱりうちにはがんが多くて……」と心配な方へ。田辺さんから、こんなお話が続きました。
「一口にがんと言っても、高齢になると、がんの発症は多くなります。その場合、遺伝的な素因を考えることはあまりありませんが、『家族がみんな、70代でがんになっている』と思うと、心配になりますよね。たとえば、『8人兄弟のうち、4人が70代でがんになった!』というと多い気がしてしまいます。しかし今は、2人に1人が生涯にがんになる時代。そこから考えると、特別多いというわけではありません」
田辺さんには、そういった相談も寄せられています。
「その場合も、きちんと対応します。外来に来ていただいてお話をし、『それなら大丈夫だ』と理解してもらえると、気持ちは全然違うと思います」
結局のところ、「遺伝性のがん」って、どれくらい心配したらいいの!?
現在、「遺伝性」とわかっているのは、がん全体の5〜10%。
卵巣がんは意外と多く、卵巣がんにかかった人のうち、15%くらいは遺伝性。乳がん、大腸がんは、それぞれ5%くらい。網膜芽細胞腫という小児がんは、30%強とのこと。
「30〜40歳代などの若い年齢で発症している」「一人で何回もがんになっている」「家族が似たようながんを発症している」ということが特徴です。
また、遺伝性のがんは、さまざまながんの発症に関係することも。たとえば、「遺伝性乳がん卵巣がん」であれば、乳がん、卵巣がんのほか、膵がん、前立腺がんなど。「リンチ症候群というタイプの遺伝性のがん」であれば、大腸がん、子宮体がん、卵巣がん、膀胱がん、膵がんなど。
「家系にこのようながんが多い場合、遺伝性の可能性を考えます。しかし、家族にいなくても遺伝性の場合もあります。『家族に女性が少なくて、たまたま卵巣がんの人がいない』のような場合もありますから」
……いろいろと怖くなってしまうお話だらけ。でも、「遺伝性である」とわかることは、とても有益でもあるのです。
「年々、対処法は増えています。『特定のがんになりやすい体質』とわかっていれば、通常は受けないような検診を追加するなどして、早期に見つけることができます。がん自体は、遺伝性ではないがんと大差ないため、早く治療ができれば、抗がん剤治療を行わずに治せたりするかもしれません。すでに遺伝性の乳がん・卵巣がんに効きやすい薬も登場していますし、そのような研究は、今が過渡期。今後は、予防の研究も進んでいくと思います」
しかし、まだまだわかっていない点がほとんど!?
とはいえ、がんについてはまだまだ解明されていない部分が多いのが現状。だとしたら、今後もっと「遺伝性のがん」は多くなるかもしれない!? そのへんも不安になるところです。
「増える可能性はあると思う」と、田辺さん。現在では、「強大な力を持った1個の遺伝子異常が、がんを引き起こす」というものを見ているけれど、近い将来には、「中くらいの威力の遺伝子が3個集まるとがんになる」「小さい威力のものが10個集まるとがんになる」というようなものも分かってくる、とのこと。
「そうなると、どこまでが遺伝なのかわからなくなりますよね(笑)。もしかしたら全部のがんが遺伝という可能性もあるかもしれません。でも逆に、『病気にならない人は、このような遺伝的要素がある』ということもわかるようになってくるのではと思います」
遺伝子が大好き!納豆の研究から、医療の世界へ
遺伝カウンセラーになる以前は、遺伝子の研究者だったという田辺さん。とにかく遺伝子が大好きで、遺伝子を操作する技術を駆使した、臭わない納豆の開発などにたずさわっていました。
ところが、研究でひとつの壁となったのが、一般の人の遺伝子に対する理解不足。
「遺伝子のことをきちんと伝えていかないと、技術は発展していかない」と感じ、行き当たったのが遺伝カウンセラーでした。
その後、大学院で乳がんの患者さんを対象とした心理研究に関わったことから、がんの世界にも入りやすかったといいます。
「私が遺伝カウンセラーになった15年ほど前、夢に描いていたのは、現在のように華々しく遺伝子を使う世界でした」
ここ数年で、遺伝子の研究は目覚ましく進み、がん医療のあり方は、これまでとはまったく異なってきています。
「きちんと理解をして、その後にどう役立てていくかが大事。できることを知ったうえで、何を選択していくのか。ご自身の行動変容につながれば、それはすごいことです」
今後やっていきたいこととして遺伝カウンセラーの仲間と話しているのは、がん教育での遺伝の啓蒙活動だそう。
「遺伝性だと、がんになる世代が若い。まだ子供が小さかったり、仕事をしていたり、がんになってしまうと特に影響が大きく出る年代です。そのあたりの世代に伝えていき、『自分に当てはまるから相談してみよう』とか『この検診を受けてみよう』とか、そのきっかけになることができたらいいなと思います」
これまでとはまったく違う視点からの研究が進む現代。新しい治療法のみならず、将来の自分にどんなことが起こり得るのかまで、わかるようになってきています。そのなかで必要なのは、おそれることではなく、ひとつひとつ知っていくこと。認定遺伝カウンセラー®は、その手助けをしてくれる頼もしい味方なのだと思いました。
参考:「遺伝性腫瘍・家族性腫瘍」 https://ganjoho.jp/public/cancer/genetic-familial/index.html (国立がん研究センターがん情報サービス)
●プロフィール:
田辺記子(たなべのりこ)
国立がん研究センター中央病院遺伝子診療部門
認定遺伝カウンセラー®
1995年東京大学農学部卒業、1997年東京大学大学院農学生命科学研究科修了(農学修士)。株式会社ミツカングループ本社中央研究所に勤務し、微生物遺伝子機能解析・ゲノム解析等に従事。2006年より北里大学大学院医療系研究科にて遺伝カウンセリングの修習・研究を行い、博士課程に進学後、乳がん患者を対象とした臨床心理学的研究で医学博士を取得。2010年より北里大学薬学部薬学教育研究センター医療心理学部門助教、2016年より現職。