がんになって知ったこと。
それは、「医療はいろいろ早い!」ということ。
「医療の進歩は早い!!」そして、「診断〜治療までのスピードも、早い!!」(場合によっては)
そのどちらにも共通するのが、「並の人間には(いろんな意味で)ついていけない」というものなのだけど、医療はさておき、治療に関しては自分のことだし、「追いついていかない訳にもいかない」という状況。私も当初は、足がもつれながらも何とかコケずについていった、というところでありました。
重大な事実の発表(告知)から、そのまま治療の説明に入り、手術の予約や検査も同時進行するなど、落ち着く間もなくスタタタタタ〜と話が進んでいく。
あまりのスピード感に、「ちょ、ちょっと待って……」と、声にならない声を胸に抱いた人も多いはず。私がついていけた理由は、医師たちのほんのちょっとした配慮によるのですが、それを得られず、渦巻く濁流に飲み込まれたような心地の人も少なくないのではと思います。
自分の身に起こる前にいろいろ知っておくのはなかなかできることではないけれど、もしも、「どう捉えていったらいいのか」を知っていたら、少しは落ち着き具合が違ったかもしれない。という訳で、私がたどった診断〜治療までの道筋が、今回のお話です。
これは、大ごとなんだ
私が、「がんです」と告げられたのは、2013年5月11日。ところがそれは衝撃というほどのものではなく、「やはりそうきたか」と、だいぶ冷静な有様でした。というのも、事前にクリニックの看護師さんから「検査の結果が出たので、すぐに来てください」と電話をもらっていたからで、「悪い結果に違いない。最悪、死んでしまうのかもしれない」とまで考えていたのでした。
そのワンクッションが少しの覚悟を与えてくれて、「とにかくまずは話を聞いてみよう」と思うことができたという。のちに聞いた話では、あえてそのような電話連絡をする病院もあるそうです。
クリニックでは、いつもの診察室を通り越して奥の部屋へ。神妙な顔をした医師が検査結果の紙を手渡してくれるも、そこには難解な言い回しや、やたらと長い横文字が並んでいて、いい話なのか、悪い話なのか、どの言葉が何を意味するのかさえ、まったく不明。
とにかく子宮頸部にがんがあり、手術が必要だということで、「このクリニックでは治療できないから、大きな病院へ行ってください」とのこと。
ここですかさず「紹介状」が登場。これまでの人生でそんなものが必要になったためしなど、あるはずもなく。「これは大ごとなんだ」と、急に現実味を帯びて感じられました(のちに、紹介状も意外とホイッと出してくれるものと判明。当時は、知る由もない)。
予約をするにも一苦労(どちらかといえば精神的に)
大きな病院で受診するためには、まずは予約の電話をしなければなりません。
冷静に受け止めたとは言っても、細い綱の上を歩く心持ち。あえて無心になることで、均衡を保っていた状態でした。
そんな訳で、まだ周囲には「がんになりまして」などと言えるはずもなく、当時いたオフィスをスルッと抜け出し、ロビーの奥の、立ち入り禁止のロープが張られた向こう側に入り込んで電話をかけていました。
「人に聞かれたくない」という思いがあったのだけど、今考えると、大変怪しい。
しかも大きな病院にありがちの、「只今、電話が大変混み合っております」に取りつかれ、なかなかつながらない。毎度、「コレとコレを言わなきゃ」と頭の中で反芻し、検査結果とメモ帳とペンを握りしめ、同じ立ち入り禁止区域に入って電話をしました。
「スピードが早い!」と言いつつも、このあたりはうっとうしいほどのスローペース。ついでにいちいちストレスがかかる。
何はともあれ、診察の予約ができたなら、あとはその日を待つのみ。大病院のお偉い先生はどんな輩なのかと想像しつつ、「負けないように気を強く持たねば」と、ググッと覚悟を胸にしたのでした。
医師の早足、スタート!
結局のところ、出会って10秒ほどで「この医師は信頼できる」と、話し方やら物腰やら、動物的直感やらで確信したのだけれど、ある程度の落ち着きと気構えがあったために、自分なりに医師の査定(と、偉そうに言う)ができたのかもしれないと思ったりします。
予約電話から診察までの日数や診察の待ち時間は、それなりに頭や心を整理するための時間でもあるのかもしれません。
しかし、そこから少しスピードアップ。
早速、「ここまでがんが進んでいるとしたらこの治療、さらに進行していたらこの治療」と、だいぶ先のことまで説明を受けていくという。
「いやいや、先生、私のがんはそこまでじゃないですよ」と内心思いつつ、実際はそこまでのがんだったので、そのときの私の「そこまでじゃない」という思いは、もともとの楽観的な性格にプラスしての、強い願望だったのかもしれないと思います。
説明に引き続いて再検査を行い、その結果を聞きに訪れたときには「では手術の日を決めましょう」とのこと。手術の詳しい説明が終わると、「身体的に手術しても問題ないかどうかの検査をする」とのことで、血液検査や呼吸器の検査、心電図検査などをすることに。
「えっ! 今日このまま検査ですか!?」との問いに、「そう」と、いかにも普通のお返事が。しかしながら今回の手術はかなり簡単なものということもあり、だいぶ楽観的な気分。「医師の早足」に少し焦りながらも、とりあえずついていけるほどでした。
追いついていけないほどのスピード感
ところが、術後の結果発表からは、とてつもないスピードを感じました。
「悪い結果です」から始まり、追加で大きな手術が必要とのこと。それは、以前の説明にあったなかで一番悪い状態に対する手術で、私としては、相当に想定外。
「そうするしか方法はないのだろうか」とか、いろんな疑問や不安がワラワラと湧き出てくるし、心が右往左往してしまって落ち着かず、なのに体は硬直。泣きそうになるのを必死にこらえていました。
それでも、どんどん医師の話は続いていく。「では、手術の日にちを決めましょう」と、なったところで、「ちょ、ちょっと待って……」と心の声が聞こえつつ、すでにそう言える段階ではない気がしたり、もしも医師に強い口調で反論されたとしたら、それこそ耐えられない気がしたりで、思いを口にすることができなくなってしまいました。
次第に、「セカンドオピニオン」という一言が頭のなかで鳴り響くも、それこそ非常に言いづらい。「言え! 言わないと!」と鼓舞する自分と、声にできない自分がせめぎ合う。
私は、もしかしたらすごくヘンな様子だったかもしれません。
それに気づいてか、医師がこんなことを言ってくれました。
「セカンドオピニオンを受けますか」
ここで一気に気持ちが緩んでいきました。さらに、「手術の予約は入れておくけど、やっぱりやめたいと思ったらキャンセルもできるからね」との言葉に、「立ち止まってもいい」「自分で選んでいい」という心の余裕を与えられた気がしました。
それは、主治医の小さくも大きな思いやり。以降も猛スピードではあったけれど、不思議と足元がちゃんと見えるようになったのでした。
少しの間、立ち止まってもいい
「追いついていけないほどのスピード」とは、「精神的に追いついていない」ということなのだと思います。焦りや恐怖や不安なんかで、見えるはずのものが見えず、動けなくもなってしまう。
少し落ち着いたころに振り返ればすでに事は成されたあとで、「なぜあのとき」と思ったり「言いなりになってしまった」と、人を恨んだり。
医師は、私たちの命を助けるために「医師として考える、最善の方法」を提示してくれます。それには「急いで手術の予約を入れなければ、どんどん治療が遅れてしまう」などの思いもあるかもしれません。それもすべて含めての猛スピードなのだと思います。
ただ、その「最善の方法」が、患者本人の望みと一致するかは、本人にしかわかりません。その本人も、ある程度落ち着いてあたりを見まわせる状態でなければ、何をどう判断したらいいかわからなくなってしまうし、自分でもわからないことを医師と相談などできるはずもありません。
医療者が、落ち着く助けになってくれればいいのですが、とにかく誰かと話をしてみるのもひとつだと思います。人と話すのはキャンバスに新しい色を足すようなもので、きっと違う風景が見えてくるはず。
少しの間、立ち止まってもいい。
そこから、自分で決めた一歩を出してみてもらえたらと思います。