重度の喘息で呼吸が止まったことも
良い闘病記の条件の1つに「治療過程がしっかり書かれている」ことを私は挙げる。医療従事者ががんに罹り闘病記を書くケースが増えてきた。それらの本の治療記録は正確であり、安心して読むことができる。
今回紹介する『Passion ~受難を情熱に変えて~』(医学と看護社)の著者、前田恵理子さんは、東京大学医学部附属病院の放射線科医である。 経歴は輝かしい。東大理Ⅲ合格、学業成績と解剖マニュアルの出版で東京大学総長賞を受賞、北米放射線学会にて日本人で史上2番目の快挙となる最高賞を受賞する。
しかし、その裏で、小学6年生で発症し重症化していく喘息との長い闘いの日々があった。
中学3年生の時には8回も入院し、呼吸が止まり生死をさまようこともあった。ステロイドの副作用で大腿骨頭壊死になったり、両目の切開手術を受けたりと受難の連続だった。大学での臨床実習は、常に酸素ボンベのカートを引きながら臨む苦難を強いられた。
がんに少しの猶予も与えず最善の標準治療を受ける
そんな闘病体験を持つ著者が、2015年2月、37歳の時に肺がんを発症。職場検診の写真を見て、自分で気づいたステージⅠAの肺腺がんだった。さらに胸膜浸潤が疑われた。 手術で左肺上葉を切除。やはり胸膜浸潤があり、ネットで検索した最新の医学論文で5年生存率3割とあった。だが、5年生存率が3割「も」あると前向きにとらえ、自分ならがんに打ち勝ち長期生存を勝ち取れると自信をみなぎらせる。
シスプラチンとナベルミン(ナベルビン)による化学療法を開始。2年後、小さながん細胞が肺や胸壁の表面に散らばった結節を形成する胸膜播種となり、ステージⅣの患者となる。分子標的薬ジオトリフの処方をすぐさま始める。3カ月後のCTで結節が縮小した。
しかし、2年後、肺靱帯リンパ節に転移し、手術で切除するも小細胞がんへの形質転換が判明した。カルボプラチンとエトポシドの化学療法を行うも効果はなく、迷わず3回目の手術を敢行。経過CTで、今度は傍食道リンパ節への転移が判明。定位放射線照射による放射線治療を10日間行い、再発が完全に消失したことを確認する。
がんに少しの猶予も与えず躊躇なく治療を受けるスピード感は、読者にとってスリリングであり、サスペンス小説を読んでいるような錯覚を起こさせる。
著者は力説する。5年生存を果たせるのは単に運だけではなく、「がんと検索すれば、嫌になるほど出てくる民間療法には目もくれずに、最初から最善の標準治療を、最良のタイミングで受け続け」ることであると。
また、著者自身の研修医時代と比べて、がんの治療は長足の進歩をとげていることに感謝する。例えば、重粒子線を使わなくても普通のリニアックで放射線のピンポイント照射ができるようになった。術後すたすたと歩ける肋間神経ブロックという局所麻酔の手技も実現した。新しい治療法や薬の保険適用が早く、現場の医師たちがうろたえていることも描いている。 現代医学の進歩を実感しつつ、最新の医療情報・知識を共有できる闘病記だ。
子どもの心を置き去りにしない
著者は診断医であるため、自らのどんな病変も見落とさず、手術などの治療方法も自分で次々決定して依頼する。まるでテレビドラマに登場する“ドクターX”のような特別な存在に思えてしまう。
しかし、一方で、一人の母親の顔も垣間見せる。著者にはひとりの息子がいる。子どもへのがんの説明は親として避けられないことであり、心痛むプロセスである。この本にもその対応に悩む母親の心情が描かれている。
最初の説明は保育園年少の時、ステージⅣになり分子標的薬を始める時は小学校1年生、3回目の手術の説明は小学校2年生。 子どもは成長し自分でがんについて学んでいく。ステージⅣがいかに重い状態であるかを知り、母親が死んでしまうと思い込む。そこで母親の前では良い子を演じるも、学校では授業に集中できず、先生に叱られると机を蹴飛ばし「嫌だ!」とだだをこねる精神状態になる。
がんのことや治療について説明した後、著者は自分のことばかり考えて、息子の心を置き去りにしていたことを反省する。「ママ、死なないの?」と涙ながらに尋ねる息子を抱き寄せ、「滅多なことじゃ死にません」と答えて、指先で息子のほっぺたをツンツンする場面には胸が熱くなる。
夫は金融マンで子煩悩。入院中には家の床をピカピカにしてくれた。そんな親子3人が食卓を囲む団欒風景もあり、とても人間味のあふれた闘病記でもある。
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