「臨床試験」や「治験」というと、どんなイメージが浮かびますか?
このところ新型コロナウイルスのニュースで「新薬の臨床試験が開始され……」と聞くことも多く、以前に比べてずいぶん身近になったような気がします。
ところが、それがいきなり自分の目の前に差し出されるとなると、リアル度が全然違う。結構なうろたえ感。どうしようかと迷うこと数日……。そんなビビリな私の臨床試験体験が、今回のお話です。
参加すべきか否かで、思考がグルグル
「臨床試験に参加しませんか」
入院中、ベッドサイドにやってきた主治医からの言葉。
「……えっ!」
としか言えない私。
このとき思ったのは、「何でそんなものが出てくるんだ!?」ということ。
いやはや、がんになったり、大きな手術を受けてみたり、さらにこれから抗がん剤治療が始まるというときの極め付きに臨床試験とは。一体何なんだ。
「……ちょっと考えます」
お世話になっている先生だし、自分にできることであれば協力したい気持ちはあるものの、ひとまず一度、自分を落ち着かせるべく即答を避けることに。
臨床試験……。
治験……。
いかにも無機質で、微妙に人体実験的な響きを感じなくもない、そのネーミング。こんなにあっさりと自分の前に現れるなんて、思いも寄らない展開でした。それからしばらく、参加すべきか否かで、思考がグルグルしていました。
と、このようにうろたえているところを見て、「いったいどんな試験なんだ!?」と思われるでしょうが、内容はいたってシンプル。「吐き気止めの研究」です。
参加者をランダムに2つのグループに分けて、片方は抗がん剤投与後の吐き気止めを1種類、もう片方は2種類を使用。どちらの方が副作用の吐き気を抑えられるか、というもの。新しい薬を作るためではなく、副作用を緩和する方法の研究でした。
冷静であれば「どう転んでも悪いことはなさそうだ」と判断できるのですが、なにぶん、抗がん剤治療も初めてでそこはかとない恐怖に耐えているところに、臨床試験まで登場してしまって脳ミソがてんやわんや状態。以降、数日間悩んでしまいました。
薬剤師の父の言葉も頭をスルー
ここで、今となっては分かる重大な知識不足が一つ。
それは、「臨床試験と治験の違いを分かっていない」!!
臨床試験とは、「評価したい薬や治療法などを、対象の患者さんに行う研究」で、治験とは、「臨床試験のなかでも、厚生労働省から薬、医療機器としての承認を得ることを目的として行われるもの」のこと。つまりは、臨床試験という大きなくくりのなかの一部が治験なのでした。(参照:国立がん研究センターがん情報サービス『臨床試験の基礎知識』)
薬剤師でもある父に「それは治験じゃなくて臨床試験だね」と言われても、すでに頭が「なんか実験っぽい」で固まっているため、まったく浸透しませんでした。
ちなみに臨床試験も治験も当然ながら実験なのだけど、だからといって我々が突然モノのように扱われるわけではなく、ちゃんと患者として診てくれることに変わりはありません。しかも私が参加を持ちかけられているのは難しい試験ではないのに、言葉のインパクトというのはなかなかにしつこい。
“自分のためであり、誰かのためでもある
しかし、どんなときも「誰かの役に立つかもしれない」という思いは、大きな意欲になるもの。
実のところ、私が使う予定だった抗がん剤は「吐き気が出にくい」とされているものでした。そんななかで試験に参加して、いったいどれだけの意味があるのだろうという疑問もなくはない。
でも、なかには吐き気に悩まされる人もいるのだろうし、「今後がんになる人が、少しでも楽に治療ができるようになるなら、やってみようじゃないか」と思い始めたのでした。
そのような思いは、もちろん「誰かのため」ではあるけれど、同時に「自分のため」でもありました。
自分の病気の治療は、基本、自分が大変な思いをするものです。
ところが、「自分だけが大変な治療」に「他者のため」という要素が加わると、気持ちのうえで自分だけのものではなくなります。自分の境遇や努力に、より大きな意味を見出すことができるわけです。
そんなわけで「ヨシ、やるぞー!」と、一人でドラマチックに盛り上がったところで、試験参加の同意書にサインしたのでした。
臨床試験のお薬は、抗がん剤投与の翌日と翌々日に服用。袋に書かれた「Day2(2日目)に服用」、「Day3(3日目)に服用」という表示が独特で、いかにもがん治療っぽい。しかも「一度に飲んでくださいね」と渡されたのは16錠!
それから5日間、日誌に身体の状態を記入しました。気分はどうだとか、他の吐き気止めを使ったかとか、記載された項目に答えていきます。描かれている「吐き気の度合い」のイラストは単純で、文字はえらく大きい。小学低学年のドリルのようでした。
日誌には、特に吐き気は出ず、ほかの吐き気止めは使わず……と記入し、提出。
「うむ、医学の進歩に貢献したぞ」と、一人ほくそ笑む。なんとなく達成感もあり、いいことをした気分。
……ところがどっこい、あとで気付いた大きなミステイク。
抗がん剤治療中はほかにもいろいろと薬を飲んでいたのですが、そのうちの一つ、胃薬として処方されていたものが、実は吐き気止めとしても絶大な効果があったのでした。
せっかくお役に立とうと思って参加したのに……。
だいぶ無意味な結果を提出してしまった。
気付いたあとに主治医に伝えたものの、その後、私のデータが結果の分析に含めてもらえたかは不明。
いい気分から一転、微妙な空虚感が心に漂うのでした。
とまあ、何だか笑い話のようになってしまいましたが、こんな単純な試験であっても、さまざまに悩んで参加することを決めました。もしも新薬開発のための治験だったら、さらにいろいろなことを考えただろうと思います。
治験は、「現在の医療では、これ以上、治療法がない」という人の、新しい希望となることもあります。
私が使った抗がん剤も、治験を経て生まれてきたもの。多くの人が悩み、期待と勇気と努力があって作られたものです。そうやって、「治療法がない」と言われていた病気は、治せるようになってきました。
治療薬は、単なる薬品じゃない。私の命は、過去にがんばったたくさんの人に支えられているということを、忘れないでいたいと思います。