河川の氾濫、日本列島を直撃する台風、大地震、時に巻き上がる竜巻。
近ごろの天災の起こり方は、何だかかなり変。
普段でも困るのに、それがもし、がん闘病中に起こったら……。あなたは、どうしますか?
「私は今、社会的弱者なんだ」
「今、また大きな災害が起こったら、私はどうなってしまうんだろう」
抗がん剤の副作用で体がだるく、ほとんど身動きがとれずにいるとき、そんなことを思いました。家の窓から見える青い空や木々はやけにのどかで、まるで嵐の前の静けさのよう。
私ががんになったのは、2013年。
2年前の東日本大震災の記憶がまだ、色濃く残っているころでした。
災害は、健康なときであっても大変な異常事態です。もしかしたら、しばらく避難所での暮らしを余儀なくされるかもしれない。だれもが体力的・精神的にギリギリで耐えているような状況のはず。
そんななかでの、この弱り切った体。
食事は何でも食べられるわけではなく、歩くのもやっとで、ちょっとした気温や気圧の変化でひどく気分が悪くなるような状態でした。手術の傷はまだ癒えておらず、ところどころに後遺症も残っていて、清潔にしておける環境でなければどうなってしまうやら。
健康なときに比べて桁違いに苦しい思いをすることは容易に想像できます。
そのとき、「私は今、社会的弱者なのだ」と気づきました。
そして災害は、今までよりもずっと身近に感じられたのです。
しかしながら、がん患者だからといってビビッてばかりはいられません。できる限り自分の身は自分で守れるよう、準備をしてみることにしました。
と言っても、基本的には一般的な災害への備えが中心。そこに自分の状態に合わせたものを追加していく程度です。
・ペットボトルの水を通常より多めに準備(自宅避難の際、給水所から水を運ぶのは、一人では多分ムリ) ・体調によって食べられないときのための、高カロリー流動食やカロリーメイトのような固形食、携帯用ハチミツを常備 ・いつでも持ち出せるように、飲み薬や医療器具を普段のものとは別にセット ・自治体から送られてきた「避難マップ」「災害への備え」などの冊子類は、届くたびに古いものと入れ替える ・「体の状態メモ」(通院している病院の連絡先、診察券番号、主治医名、治療歴、使用している医療器具やお薬、緊急連絡先などを記入したメモ)を複数用意し、非常持ち出し袋やお財布など、さまざまなところに忍ばせる
激痛で意識が定まらないうえ、指はまともに動かせたものじゃなく、家族の連絡先を探すだけでもスマートフォンの操作なんてまったくできず。2台持ちしていた携帯電話(ガラケー)を出してもらってなんとか伝えることができたのでした(余談ですが、ガラケーは指の感覚だけでだいたいの操作ができるため、自分が身体的にピンチのときにはスマホよりもスグレもの! ただし、普段使っていないと操作方法を忘れるので意味なし)。
こんなときのために書いてまとめておいた方がいいなと思ったタイミングで、患者会からカードサイズの「体の状態メモ」をゲット。退院後すぐさま記入したのでした。
私は今も、お財布の一番目につきやすいところに「保険証」「診察券」「体の状態メモ」の3点セットを入れています。たとえ倒れて意識がなくても、つつがなく助けてもらえることでしょう(たぶん)。
お散歩中はご近所チェック!
さらにお散歩の際には、近所のどこに何があるかをチェック。
公衆電話の場所や、避難場所のどこにどんなトイレがあるかなどを確認します。意外なほど近くにかなりしっかりした給水所を見つけたこともありました。どんな設備になっているのかじっくり観察しながら建物の周りをグルグル回ってみたりして。だいぶ変な人ですが、これも身を守る大事な備えなのです(と、言い聞かせる)。
また、新型コロナウイルスが心配な現在は、公共の避難所ではない場所にも避難できるよう、目星をつけておく方がいいだろうと考えています。
家族や知人の家のほか、自宅避難を想定してどこが一番安全か。自宅の中にいられないとしたら、敷地内のどこなら雨風をしのげるか。「寒ければあのコートとヨガマットが使えそうだ」など、ときどき脳内避難訓練を行っています。
できるところからちょこちょことやっていけば、それだけでちょっと安心。
さらにほかにも何か役に立つ情報はないかと思い、ネット検索をしてみました。すると、病気や障害を持っている人のための災害対策情報が、意外にも多数ヒット!
こんなにあっさり見つかるとは。
いかに多くの人が不安を抱えているかを物語っているようです。
検索ワードは「がん 災害」「抗がん剤 災害」や、私の場合は「人工肛門 災害」なども。それぞれ自分の状況に合わせた言葉を入れて探してみてください。
少しの想像力で力を分け合える社会
災害への不安が最も大きかったのは、治療の影響で排尿障害が残っていたときや、人工肛門があったときでした。
どちらも清潔なトイレ環境やそれなりのスペースが必要で、ケアには時間がかかるし使用頻度も高い。手持ちの医療器具が汚染したり壊れたりしたら、新たに手に入るかどうかも分からない。感染症にかかる確率も格段に高く、そうなったときに適切な治療を受けられるのだろうか。過去にかかった感染症の辛さを思い出して、不安がジワっと心に広がりました。
見た目には健康な人と変わらないし、そもそも人工肛門に限らず、内部障害(※)がどんなものかを知っている人はほとんどいません。がん患者も同様で、最近では治療をしていても普通に見える人も多いもの。心身ともにより大変な状況であっても、気付かれもしないという。(※:内臓や免疫など、体の内部に障害があること)
病人や障害者は、身の安全が確保できるだけではまったくもって不十分なのだと思いました。
がんになり、一時期でも人工肛門になってみて実感したのは、「知らない世界がまだまだたくさんあり、そこに生きている人がいる」ということでした。見て分からなくても、大変な思いをしている人は大勢います。
その人たちは、健康な人が苦労を強いられる場面では、その何倍も辛いはず。そういったときに力を分け合える社会が理想ですが、それにはまず、一人ひとりが少しの想像力を持ってあたりを見回すことが大切ではないかと思います。
日常でもそんなことができる、心の大きな人になりたいものです。