『涙の向こうに花は咲く』の著者・吉野やよいさんは、1989年3月7日生まれで、2005年6月6日に『なんくるないさぁ。』という第1作目の闘病記を出版している。
今回の闘病記の前半は、第1作目を大人になった目線でリメイクした内容で、後半は第1作目出版後の13年間の日々を綴った内容となっている。 吉野さんのように、小児がんから生き抜いて大人の女性になった報告は珍しく、貴重であり、ずしりと重い。
ユーイング肉腫と闘った6年間
著者は、4人兄のいる末っ子として沖縄県那覇市で生まれ育つ。小学校4年生の冬、体育の時間に背中の痛みで動けなくなる。近所の整形外科に行くも原因は分からず、5年生になるとますます激しくなるばかり。いろいろな病院に駆け込むも成長痛として湿布薬と痛み止めの薬を処方されるだけだった。
そのうち激痛が胸にまで広がり、夜中に大学病院に駆け込む。MRIで調べて悪性リンパ腫と診断されるも、生検の結果、リンパ腫ではなくユーイング肉腫と判明。10歳の時だった。
東京の小児病院に転院して、抗がん剤治療を受ける。しかし、抗がん剤への拒絶反応で吐血。人工呼吸器を装着したまま、昏睡状態が2カ月間も続いた。 意識を取り戻しても寝たきりの生活が続き、背中とお尻に大きな傷が残った。右脚太ももの皮を薄く切り取り、背中とお尻、腰骨付近に移植する手術を受ける。
小学6年生の秋に沖縄に戻り、中学まで進む。しかし、がんは再発する。 中学2年生、13歳になった著者は再び東京の小児病院に移って、抗がん剤治療と放射線治療を受ける。効果はなく、肺への転移が疑われ、左の脇下から皮膚を開き、肋骨3本を切り取り、肺と背骨の間に手を差し入れて、腫瘍を切り取るという難手術を受ける。
その後、沖縄の中学校に戻り、沖縄と東京の病院へ定期的に通院することになる。 16歳の時、MRI画像診断で再発は見られないと告げられた。 それまでの間、2度も余命宣告を受けた。思春期にして、大人でも過酷な経験を積み重ねたことが伝わってくる。
小児病棟の子供たち
この本には治療の詳しい記録、例えば抗がん剤の薬品名や施術名などは書かれておらず、医療情報が少ないのは残念だが、卓越しているのは、大人では知り得ない小児病棟の子供たちの日常が詳しく描かれている点だ。
自分の病名を明かされていない子供も多く、他の子から知らされ塞ぎ込んでしまうことや、あの看護師さんと仲が良いのは私だと、ほんの些細なことで言い争いが起きることも。 「死」が身近なものとして存在しているのも小児病棟だ。「次はきっと自分の番だ」という子供たちのやり取りには胸が痛む。
「絶対に元気になって、同窓会やろうね」と、著者は友だちと約束する。それが実現できない夢とわかっていても、病気と最後まで闘う力になっていたはずと回想する。
2度のカミングアウト
この本で重要なテーマが、カミングアウトである。がんの闘病中であること、あるいは後遺症や副作用で苦しんでいることを、周りの皆に告白することである。
1度目の場面は、定時制高校に入学して入ったバレーボール部でのこと。小学5年生の頃から成長が止まってしまったため、バレーボールをすれば背が伸びるのではという理由から入部する。
けれど、練習についていけず邪魔者扱いにされてしまう。体が弱いからといって特別扱いされたくないあまり、小児がんのことを隠していたことを告白する。
するとそれを聞いた皆が泣いて理解してくれた。その経験から、きちんと話をすることが大切だと学ぶ。結局2年生の終わりにはレギュラーの座を掴む。この時の仲間は大切な宝物として、今も時々連絡を取り合っているそうだ。
2度目のカミングアウトの場面は、早稲田大学人間科学部を卒業し、社会人になってからである。
小児がんの後遺症「晩期障害」から足に激しい痛みが出た。階段の上り下りが難しくなり、ワンフロアの移動ですらエレベーターを使わざるを得ない。会議の後片付けや荷物の持ち運びも免除されていた。同僚たちから「なぜ、吉野さんだけ特別扱い?」という雰囲気を感じていた。
後遺症のことを告白した。すると職場に変化が現れ、「今日は体調どう?」と声を掛けられるまでになる。 「『みんなと同じように働きたい』と思って、どこか病気を隠す気持ちもありました。けれど、(中略)素直に伝えてお願いすることも必要なのだ、と改めて感じました」
「世界はずっと広くて、いろんな人がいるんだよ」
著者の体にはたくさんの傷痕がある。背中には褥瘡の痕、脇から下には手術の痕。それらが気になって結婚をあきらめていた著者に恋人ができる。思い切って背中の傷を彼に見せた。
「大変だったんだね」と彼。さらに「やよいちゃんが思っているよりきれいだよ」といってくれた。
昔、母が語ってくれた言葉を思い出す。 「いつかきっと、この傷を見ても、怖いとか言わない人に会えるよ。あなたが思っているよりも世界はずっと広くて、いろんな人がいるんだよ」
あきらめなければ奇跡も起きる。29歳になった著者が、10歳の著者に語りかける。 「努力した経験や人との巡り会いは、大切な自分の宝物になるよ」。そして、「小児がんになったのは、かけがえのない経験だったと思えるようになる日がくるよ」。
それは、今も病気と闘う子供たちへ向けた、エールともいえる言葉ではないだろうか。