書店で手にして開いた「まえがき」に、「それから16年。手術を14回して、今、元気に生きています」とあった。そのフレーズが気になった。
どんな生命力を持ち、どれだけ元気な人なのか、興味津々で読み進めた。 文字も大きく、写真も多く、読みやすい。コロナ禍で閉塞感漂う今夏、からっと明るい闘病記で、夏本来の爽やかさを取り戻したい。
居酒屋の陽気な女将さん、39歳でがん告知
著者は居酒屋を営む女将さん。1996年34歳の夏、突然真っ赤なおしっこが2日間続く。近くの総合病院の泌尿器科で診察を受けるも、心労による血尿と判断される。
当時、長男は小学3年生、長女は幼稚園の年長組、夫とは別居中。朝は5時に車で50分ほどの場所にある魚市場で魚を仕入れ、子供たちに朝食と弁当を作り、夕方は5時から居酒屋を開店し、24時に閉店して後片付けをする、そんな生活が続いていた。
それから5年後、39歳の時、左脇腹に鈍痛を感じ、看護師をしている友人の勤める聖マリアンナ東横病院で超音波検査を受ける。さらにCT検査を経て、左腎臓にがんが発見される。
2001年8月28日に入院、その10日後に左腎臓全摘出手術を受ける。初めての手術だったが、娘にビデオカメラで傷のないお腹を撮影させる余裕があったと述懐する。主治医から「腎臓がんは、摘出すれば完治だし、腎臓は二つあるので、一つ無くなっても機能するから大丈夫」という言葉で安心していたからだ。 以降、3カ月に1度の血液検査と、年に2度のCT検査を欠かすことはなかった。
8年後の転移から毎年、手術を繰り返す
5年生存率をクリアしたものの、8年後に膵臓へ転移しているのが見つかる。 気分転換にヨット仲間と大海原へ。乗船した仲間にがん経験者が何人かいた。その1人からセカンドオピニオンを勧められる。
人に勧められた病院だと不満があっても遠慮していえずに、それがストレスになると、インターネットで納得がいく情報を自ら探し出す。さらに、26年続けてきた居酒屋を閉めて、治療に専念する覚悟を決める。
セカンドオピニオンを受けた病院へそのまま転院。膵頭部腫瘍切除術を受ける。 半年後、再びCT検査で引っ掛かる。今度も膵臓がんだった。
その後、毎年腫瘍が見つかり手術を繰り返す。インターフェロンは1年間試すも効果なく、抗がん剤治療は辛く苦しい話ばかり聞いていたので断り続けた。IVR(インターベンショナル・ラジオロジー)治療にも挑戦した。
2017年9月、14回目の手術となる右副腎動脈塞栓術を岡山大学で行うところで、この本は終わる。ただ、プロフィールを見る限り、その後、2018年2月の本書の出版までに2回の手術を経験しているようだ。
夢中になることがあればがんを忘れる
手術の回数が増えるにつれ、患者としてのプロ意識が芽生える。 4人部屋の同室のがん患者からは質問が殺到する。自分の経験を語ると、大抵はお決まりのように仰天される。いとこががんになった時は、医師の話を一緒に聞いて、わかる範囲でアドバイスもする。
頑張って生きてきてよかったと、少しでも役に立てたことに喜びを感じる。 転移や再発といわれても、落ち込むことはなくなった。家族も心配しなくなってきた。娘も「死ぬ死ぬサギだね」と笑うくらいだ。
ただ、何度経験しても嫌なのが、術後3日目に硬膜外麻酔が抜かれると襲ってくる痛み。七転八倒の苦しみで、「死んだ方がマシ!」と叫ぶほどだった。 「来年の桜は観れるかなー?」と思いながら16年。夢中になることがあれば、日々の生活でがんを忘れることができると達観する。
がんになって充実の人生!
著者は「ガンになったことで、自分の好きなものが何かわかり、自分の好きな食べ物も吟味するようになり、好きな音楽も、大切な人も、よくわかって」きたそうだ。
居酒屋を閉めてから始めたパン作りに夢中になり、今では全国的なクッキングスタジオのパン講師の肩書きがつく。 体力と筋力をつけるためにマラソン大会に参加したり、ヨットに乗ったり、ゴスペルを歌い、自分で弾くチェロの音色に酔いしれる。
そんな母親を見て、子供たちも夢を持って大きく育ち、逆に刺激を受け闘病の支えになっている。 「結果、ガンになってから、私の人生はとっても充実してきたんです。丁寧に生きることを教えてくれた、私のガンコなガン子ちゃん。おかげで楽しみが増えました」
かつて、先輩がん患者が元気でいることが励みとなっていた。今度は、自分が愉しく生きていることを伝えることで、初めてがん告知を受けた人も希望を持って生きて欲しいと願う。
がんになっても楽しむことを忘れない。そうすることで著者は、人生を全うしつつあるのだ。