船を漕ぐことが人生なのだ
著者はNHKのディレクターやプロデューサーを歴任し、最後は編成局主幹(総合テレビ編集長)を務めた女性。
2016年5月11日、帰宅途中の電車で突き上げるような胃の痛みに襲われる。NHK局内の診療所の超音波検査で黄疸が判明。さらに検査の結果、黄疸の原因は胆石ではなく膵臓がんだとわかる。浸潤性膵管がんだった。
東京大学医学部附属病院の肝胆膵外科に入院。膵頭十二指腸切除の手術を6月13日に受け、術後TS-1(ティーエスワン)を服用する治療方針が決まった。こと細かく説明される主治医のインフォームドコンセントに、小さなメモ帳しか持参しなかったことを後悔した。ただ、世界的な医学雑誌『ランセット』に発表された、TS-1を使うと5年生存率が大幅に伸びたという主治医の説明を、同席した夫と前のめりになって聞いた。
術後の後遺症は想像を超えていた。数日後に脊髄に入れていた麻酔を抜いた後の猛烈な痛み、すさまじい下痢の連続。本どころか新聞すら読む気力を失わせた。
手術から4週間後に退院。下痢が止まらない中、再発防止の抗がん剤治療が始まる。脱水症状で入院もした。ようやく落ち着いて過ごせるようになったのが術後半年経った頃だった。
いよいよ職場復帰と考えていた2017年5月に再発がわかった。肝臓への転移だった。
アブラキサンとジェムザールによる化学療法を開始するも奏功せず、FOLFIRINOX(フォルフィリノックス)に薬剤を変更。腫瘍マーカーが下がったことを受け、肝臓の転移巣の切除手術を12月6日に受ける。
手術は成功。今度こそ復職できると思った翌年2月に再々発が判明する。 「でも、後悔はしていない。これまでも、目の前に船があれば、目標に到達できるかどうかわからなくても乗ってみる、という生き方をしようとしてきた。乗ってみなければ見えない風景がある。予想外の場所にも立ち寄れる。船を漕ぐことが人生なのだと思う」
再びFOLFIRINOXによる治療を開始するも、2018年11月26日逝去。2019年2月20日、本書発刊。
旺盛な探究心
著者は仕事で福祉番組や医療番組を作ってきた。がんが発病する前には、遺伝子検査や出生前診断についての論考がある。そして、がんに罹ってからは、がんに関する旺盛な探究心が沸き起こる。
「“隠喩としての病”にたじろがないために」の項では、膵臓がんがマスコミでどのように扱われてきたのか、「新薬と『勇敢な患者』」の項では、薬の歴史をひもといている。がん相談支援センターの歴史や問題点、遺伝子の検査技術について、がん患者の食事についてなど、情報が満載である。
読書して印象に残った本もたくさん紹介している。
ベッドから見上げる点滴のパックが、まさに岩崎航氏が詩集『点滴ポール 生き抜くという旗印』で表現した「旗印」のように思えたこと。正岡子規が『病牀六尺』で病人を抱える家族への飯炊会社(=デリバリー)をすでに発想していたこと。科学者の戸塚洋二氏が『がんと闘った科学者の記録』で、整理され検索が体系的にできる体験談がデータ化されるために、がん患者は記録を残さなければならないと訴えていたこと、などなど。
思いを受信してくれる人とわかりあう
人には何の打算もなく「何かを好きになる」瞬間がある、と著者はいう。それを言葉にでき、その言葉を「伝えたい相手に伝えることができる」。
著者を支えた多くの励ましとは、そんな言葉だ。その人の日常生活の中で心が動き、著者のことを思って伝えられる言葉。「言葉は凄い」「言葉があってよかった」と、病を得てからの2年半で強く思うようになったそうだ。
著者は、言葉を活字で残せる闘病記についても言及する。 「闘病記はどれも尊い」、ただ「それを読み終わったとき、『密度濃い人生を生きた』、『その人らしく生きた』、『病になったことでより深い境地に達した』と、読者が消費して終わってしまうことを避けたい――」。
闘病記を編集している評者の胸にも、ぐさりと突き刺さる。襟を正したい言葉だ。
闘病は個人的な経験でスタートするが、「『個人』が『個人』として発信しながら、一方的に発信するだけではなく、自分の思いを受信し、共感してくれる人たちとわかりあって多くの支援をうけられる社会になればいい」。
著者はそんな気持ちでこの本を書いた。同じように病気と直面する患者や、医療者の何らかの力になればと願った。
著者の調べ上げた膵臓がんの情報を共有すれば、後に続く患者の治療や生き方の羅針盤につながる。また、難病や障害を持つ人が支援を受けられる社会を構築するための礎となる闘病記だ。