「がんのオマケ2号」――そんな感じかもしれないと、ふと、思いました。
オマケ1号は、いらないオマケ。がん治療によってついてきた後遺症など。
オマケ2号は、がんがきっかけで自分に追加された新しい展開です。「私の人生でこんなことをするようになるなんて!」といったもの。
その一つが「講演をするようになった」です。全くもって、考えてもいなかった出来事でした。
私の時間を映し出した地図
私は2014年2月にブログを書き始めたころから、なぜかムクムクとやる気が湧いてきました。様々な病院のがんイベントを訪れてみたり、通院先の病院スタッフとがんからの気づきを話してみたり。
「講演なんかもいいかも」と思い立って調べてみたところ、NPO法人キャンサーネットジャパンが行っていた「がん体験者スピーカー養成講座」というものを発見しました(現在は募集を休止中)。しかも、当時は少なかったオンライン講座で、まだ体力に自信がなかった私にはちょうどいい。
医師によるがんの基礎知識のお話から、講演の組み立て方やスライドの作り方まで勉強し、最終的に40分程度の講演を作り上げる講座でした。ちょうど知識を深めたい気持ちもあり、これは願ったりだな〜と、気合いを入れて取り組んでみることにしました。
そして振り返る、がんとの日々。紙を広げ、「診断のとき」「仕事」「家族」「治療」など、がん告知からの出来事や感情を書き出してみました。 書くにつれ、「そういえばこんなこともあった」と湧き出してくる思い。気づけば4枚の白紙が文字で埋めつくされていました。それは私の時間を映し出した地図のようで、こうやって歩いてきたのだなあとしみじみしたりして。
記録には、日記などの様々な方法がありますが、講演のために改めてまとめてみるというのは、とてもいい記憶の辿り方だと思います。その一番の利点は「伝える」という明確な目的を持っていること。
このときの私の想定は「成人女性」に向けての講演。相手にどう伝えるかを考えながら書いていくと、自分の「女性としての体験や生き方」の思いをより深く掘り下げていける気がしました。
初講演に足を運んでくれた仲間の心強さ
私の初めての講演は、2015年10月、一般社団法人日本家族計画協会が主催する『家族計画研究集会 in 神奈川』。主に医療従事者を対象にしたセミナーでした。
しかも200人規模。いきなりの大舞台で、ウオーと高揚するやら、ちょっと焦るやらで、数ヶ月前からガッツリと準備をした覚えがあります。大学生にプレゼンの仕方を指導していた姉に講師を依頼し、個人講義に加えてリハーサルを2回も行うという初々しさでした。
当日は緊張よりもワクワクの方が強く、とても楽しく話せました。そうできたのは会場の雰囲気がとても温かだったのと、何より、友人たちが足を運んでくれたためです。本当に心強く感じました。改めて、仲間の存在は、大きな力になるのだなと思いました。
それ以降、ちょっとした縁などから少しずつ講演の依頼が増えていきました。小さな勉強会から、大企業の社員研修まで。デパートの地下広場で、行き交う人々を前にトークイベントをしたこともあります。
毎年受け持っているある看護学部の講義では、普段ほとんど接する機会のないハタチ前後の学生の前に立っています。今ではだいたいカンをつかめてきた気がしますが、最初は結構緊張しました。
姉から「学生には飽きさせない工夫が必要だ」というアドバイスを受け、それなりに考えてみたものの、「ならば、逆に我が道を行こう」と臨みました。「たとえ1人か2人にでも心に何か残るものがあるのなら、それでヨシとしよう」と。そんな、ものすごく低いハードルを設定してみたら、大変気楽になったという。
後日、治療中にとても親身になってくれた若い看護師さんが、その学校の卒業生だったことが判明。その後輩にお話をできるなんて、何だか素敵な気分です。
同じ場を共有することでしか伝わらないものもある
講演を始めてしばらくしたころ、私の話にどれだけの意味があるのだろうと考えたことがありました。何かを変えられているのだろうか、と。
そのときに迷いを消し去ってくれたのが、友人のこんな一言でした。
「私は、キグチさんがSNSに載せたがんの話を読んだだけのときと、実際に会って『あはははー』と笑うのを見たときとで、がんに対するイメージがガラリと変わりましたよ!」
同じ場を共有することでしか伝わらないものは、必ずあるのだと思いました。今は新型コロナウイルスの影響でなかなか難しくもありますが、これからもガンガンお話ししていきたいです(ダジャレではない)。