担当医も寿命のことを話さなくなった
Kさん(47歳男性、工学系大学職員、奥さん、小学6年生の娘さんと3人暮らし)は、4年前に大腸がんの手術をうけ、その後、再発予防の抗がん剤の治療を行いました。しかし、2年前に肝転移と肺転移が出現し、さらに抗がん剤、分子標的薬の治療を行ってきました。
がんの転移はすこし大きくなってきていて、だんだん薬の効果を得られ難くなってきているようでした。それでも、担当医からあと6か月の命と言われてから、すでに1年が過ぎていました。その後、担当医は寿命のことを話しませんし、Kさんから聞くこともありませんでした。
抗がん剤の副作用で、毎日手のしびれがあり、治療を受けると2、3日気分が不快になり、吐き気もあります。それ以外は、手術した後の傷が時々気になる程度で、がんによる症状は特にありません。
体重は元気な時に比べて7キロ減っていますが、仕事は半分に減らしてもらったこともあって、疲れもなく、辞めずに続けることができています。
イェール大学教授の本を手に取る
Kさんは、ある日曜日、商店街をぶらぶら散歩していました。本屋の前にくると、入り口に積んである、表紙に「死とは何か」と書いてある本が目に留まりました。
シェリーケーガンという米国・イェール大学教授の講義を日本語訳にしたもののようでした。
パラパラめくってみました。
すると{魂など存在しない。私たちは機械にすぎない。……機械は壊れてしまえばもうおしまいだ。……もちろん、ただのありきたりの機械ではない。私たちは驚くべき機械だ。愛したり、夢を抱いたり、創造したりする能力があり、計画を立ててそれを他者と共有できる機械だ。私たちは人格を持った人間だ。だが、それでも機械にすぎない}
とあります。さらに読んでいくと、こんなことが書かれていました。 {私たちには魂がある、何か身体を超越するものがあると信じている。……というのも、死は一巻の終わりであるという考えにはどうしても耐えられないからだ。……私はこれをすべて否定する。……}
ひとりで生きている訳ではない
この本を買って帰ろうかと考えましたが、「お父さん、また死を考えているの?」と娘に言われそうで思い留まりました。
――魂など存在しない。機械にすぎないか……。みんな死ぬ。それはそうなのだが、しかし、魂かどうかはわからないが、良きにしろ、悪しきにしろ、何かしらの心を遺して死ぬのではないか。そうは言っても、その心はすぐに忘れられるのだろうが……。
「死は一巻の終わりでる」、「魂など存在しない」、「私たちは人格を持った人間だ。だが、それでも機械にすぎない」などとシェリーケーガンは書く。確かにそうかもしれないが、それを否定したい自分がどこかにいる。
この本は、自分の命のことだけを考えているのではないか? 私は、ひとりで生きている訳ではない。 家族がいる、家族と一緒に生きている。そこには心、魂があるのではないか。 一緒にいる家族は、私の心を、魂を感じていると思う。
機械にすぎなくても魂はある
Kさんはそんなふうに思考をめぐらせると、本屋から離れ、商店街を歩き進みました。そして、デパートの前のベンチに座ってまた考えました。
――もし、無人島にひとりで住んでいるなら、魂はなくとも、それでよいかもしれない。
しかし、多くの人間は他者と一緒に生きている。人生は、他者があっての人生でもある。
魂かどうかはわからないが、機械とは違う、遺された者の心の中に残るなにかがあるはずだ。
自分は、なにも遺すものなどない。家族になにも遺せないが、でも、それは仕方ない。
自分の生きざま、こんな病気になって考えたことは、妻と娘にはなんの役にも立たない、意味のないことかも知れないが、それでも、なんでも思ったことを書いておこうと思う。読んでくれるか分からないが……。
俺は、機械にすぎないかもしれないのだが、魂はあるのだ。 「一寸の虫も五分の魂」と言うではないか。
シリーズ「灯をかかげながら」 ~都立駒込病院名誉院長・公益財団法人日本対がん協会評議員 佐々木常雄~
がん医療に携わって50年、佐々木常雄・都立駒込病院名誉院長・公益財団法人日本対がん協会評議員の長年の臨床経験をもとにしたエッセイを随時掲載していきます。なお、個人のエピソードは、プライバシーを守るため一部改変しています。