「今外出すると命の危険がある」
2019年1月、ブログに闘病記録を綴っていた京大生のことが、「がんになって良かった」という見出しで、ネットの大手ニュースサイトに紹介された。 たちまち彼は批判を浴びることとなった。その顛末と、その後の更なる厳しい闘病生活を書いたのが、今回紹介する『「がんになって良かった」と言いたい』だ。
2016年10月末、京都大学工学部1年、19歳だった著者は、風邪をこじらせて肺炎になった。その時撮ったCTに、白い影が映っていた。 11月24日、京都大学医学部附属病院で検査したところ、縦隔原発胚細胞腫瘍と宣告され、12月8日から同病院に入院する。がんとの「闘いの幕開け」だった。
2017年3月21日、10時間を超える手術でがんを切除。主治医より完全寛解と告げられる。 しかし、翌年6月28日の定期検診の時、血だらけの歯茎を見せると、すぐさま血液内科で検査。「今外出すると命の危険がある。即入院」となった。急性白血病だった。
それからの日々、大量の抗がん剤と放射線による治療が続く。 「身をよじるほどの激痛が先の長くないことを物語っていた」と述懐する。「それでも僕は治療を進めるべく同意書への署名捺印を続けた」。迷いはなかった。「生きたかったからだ。なんとしても」。
幸いにもドナーは早く見つかり、造血幹細胞移植で一命をとりとめる。しかし、移植はうまくいかず、検査の度に健全なドナーの細胞割合が減っていた。
母のリンパ球が起こした奇跡
ここで主治医が提示したのが、新しい医療法が開発されるのを待つか、母親がドナーとなるハプロ移植だった。
今のままでは1年持たないという主治医の判断に、寿命を縮めてしまう可能性もあるハプロ移植を選んだ。実績のある兵庫県の病院に転院し、2019年6月3日、ハプロ移植を行う。
移植は成功し、退院するまでに回復した。ところが、今度は間質性肺炎を発症し、酸素マスク装着の身となった。母親のリンパ球が著者の肺を攻撃していると判断された。 そのことに耐えられずに「ここまでか」と最期を悟る。著者由来の染色体異常を持った細胞が、にわかに増加。白血病の再発と診断された。
ただ、肺炎の酸素飽和度が正常値に近く、炎症反応を示すCRPという値だけが異常に高かった。抗生剤を取っ替え引っ替えする主治医が「日本の誰にも……分かりゃしないよ」と唸るくらい原因は不明だった。
諦めかけていたその時、天文学的な確率で、奇跡が起きた。再発したがんが消えたのである。
主治医の推論は、肺炎で活性化した母親のリンパ球が、肺炎の細菌と一緒に異常細胞を駆逐した、というものだった。母親のリンパ球が戦いに勝ったのである。時は2020年を迎えていた。
会える人に、会えるうちに、会う
この本には、さまざまな人との出会いが描かれている。
まず登場するのが、同じ病室で膀胱がんが全身に転移している88歳のおじいちゃん。戦争体験を語り聞かせてくれる彼は、今、病院を第二の戦場として闘っていた。生きたいように生きる、それが叶う国になったことに安堵し、日本の未来を若者たちに託す。 「飯さえの、死ぬまで食えたら、そらもう御(おん)の字(じ)じゃわ」としみじみと語った。
膠原病に侵され肺移植をした男性は、小さな息子の成長を見届けることを夢見て一旦退院していった。「病気になるとさ、色んなことが見えてくるよね」と、病気になったことに感謝しつつも、「でもこんな病気にはなったらいかんよ」といった言葉が胸に突き刺さる。 幼い頃に習っていたピアノの女の先生が、著者の闘病ブログを見て励ましの電話を掛けてくれた。「また遊びに来てね」「必ず行きます」と会話した先生は、実はがんの闘病中だった。快方に向かっていたはずが急変して亡くなる。
「会える人に、会えるうちに、会わなければならない」そのことを強く実感した出来事だった。
毎朝、病室に芳ばしい珈琲をたてる病室のバリスタは、肺の再移植を待つ40代の妻子を持つ男性だ。「僕はね、自分のこと、可哀想だとは、思わないよ、むしろ、失ったものより、得たものの方が、多すぎて、自慢話に、なっちゃうからさ」と、呼吸を乱しながら発した言葉が印象に残る。
そして、1度目の移植がうまくいかず、著者が不安を打ち明けた時、「大丈夫だ」「ツイてるから、君は」と勇気づけてくれた。
その他にも、類い稀なお喋りオッチャンや、身体の弱いことを隠して接してくれていた幼馴染みなど、どれもが小説仕立ての文章で読者を引き込む。
新たな人生を歩むきっかけ
ネットニュースで「がんになって良かった」と紹介された後に、著者はさらなる闘病を経験した。また、死と直面した多くの人との出会いもあった。
はたして今も「がんになって良かった」と著者はいえるのだろうか。
「がんにはならない方がいい」、さらに「『がんになってみたら』なんて誰に対しても、口が裂けても薦められやしない」と前置きをして、著者は「がんこそが、僕に新たな人生を歩むきっかけを与えてくれた」と語る。
著者はあとがきの最後を「この世には、死を目前にすることでしか知覚することのできない世界がある」と、抽象的な言葉で締めくくる。
その知覚した世界とは、自分を助けようとする医師や看護師など医療従事者の姿、家族や友人たちの優しさ、同病者の生きようとするたくましさ、命の重み、自然の美しさ、あるいは、一人の時に訪れる孤独、死後に忘れ去られるという恐怖などなのであろう。
2020年は、コロナで日常が失われ、多くの人が息苦しさを感じた1年だったと思う。困難の中でも大切なものとは何か、それをぜひ読み取って欲しい本である。