「おかげさま」と感謝する心
著者は、島根県雲南市にある成福寺の住職である。 もし、お坊さんががんになった時、何を感じ何を思うのか、それを知る闘病記である。
2010年、大腸がん(S状結腸がん)の手術を島根大学医学部附属病院で行う。 2013年4月に両肺と大動脈リンパ節に転移していることが判明。手術ができない状態と判断され、分子標的薬の治療を受けることとなる。顔面紅潮やむくみ、吐き気や便秘、さらには僧侶としては致命的な発声障害等の副作用に悩まされる。
この苦しみを乗り越えられたのは、家族や周囲の人々の支えだった。弱音を吐く著者に、妻は「今まであれだけ頑張っていらしたのに――」と、背中を押してくれた。その支えのありがたみを、「おかげさま」という言葉で表現する。
2015年6月、腹膜にも転移していることが判明。分子標的薬から、新薬ロンサーフに変更。がんはひととき抑えられ、副作用も少なかった。
しかし、2年で薬への耐性が生まれ、2017年7月、スチバーガという強い薬に変更された。今度は副作用も強烈で、すぐに嘔吐や胸の苦しさ、高熱が続き全身が紅斑で覆われた。顔も赤く腫れ上がり、病状が悪化するばかりだったので、医師は休薬を告げる。今回の辛さは許容範囲を超え、スチバーガの治療そのものを止める決断をする。
医師からの提案を受け、新たに点滴薬アバスチンと経口薬TS-1の使用に切り替える。 その後、白内障で両眼の手術を経験したり、腹水が肺にも溜まるようになり、2018年9月に同病院の緩和ケアに入った。2019年2月11日、逝去。享年68だった。
がん患者の4つの苦悩
仏教では「生死一如(しょうじいちにょ)」といって、「死は生とともに、今ここにある」と説く。なのに、著者はがんになり、それまで「死ぬのはまだまだ先のこと」と漫然と構えていた自分に気づく。
また、がん患者の苦悩を自身の経験を基に、4つに分類する。
1つ目は「身体的苦悩」。著者は、がんそのものの苦痛よりも、抗がん剤の激しい副作用に苦しんだ。
2つ目は「精神的苦痛」。腫瘍マーカーの数値が増えることにより、再発や余命が頭をよぎり、精神的に追い詰められた。
3つ目は「社会的苦悩」。多くの人は仕事を辞めることにより、人と出会う機会が少なくなり、社会との繋がりも希薄になって、孤立感に苛(さいな)まれると考えた。
4つ目は「経済的苦悩」。がんの治療に必要な高額な治療費が、生活を圧迫した。 これらの苦しみにばかり目を向けていると、生きることさえ厭になってしまう。
しかし、考えてみれば、副作用や数値の変化の不安、人間関係や経済的な心配は、「移ろいゆく、不確実なもの」。その不確実なものに軸足を置くから生まれるものであると達観する。
そして、「決して揺らぐことのない阿弥陀さまのご本願の大地に、軸足を置いて生きるのです」と、衆生(しゅじょう)を諭す。
まだ出会っていない人がいる
60歳を前にがんと出会った著者には、40代の時にある研修会で出会った言葉がある。 「生きるとは、出会い続けることである」
この言葉には続きがある。 「今の私は、まだ出会っていない人がいるから、今の私でしかない」 とても印象的な言葉だ。これから先、どんな人との出会いがあり、その人の影響によって、自身がどのように変わっていくか。希望に満ちた言葉といえよう。
がんという大きな病と出会っても、「確実にいえることは、悲嘆や懊悩(おうのう)などのネガティブな思いだけではなく、よろこびや希望があった」と述懐する。「マイナスの状況だからこそ、多くの感動とよろこびに出会うことができました」とも。
この本は本願寺津村別院発行の月刊誌「御堂さん」に、4年間連載されていた原稿を元に作られた。連載を終了する旨の最終稿を書き上げたのが2019年2月。掲載号の3月号を手にされることなく亡くなる。
副作用で自身が苦しい時も、阿弥陀や親鸞などの言葉を引用しつつ、優しい文章で書き続けられたことに感服する。
その最終稿で、往生とは「すなわちお浄土に往きて生まれるのです。いわば第二の誕生日」と書かれている。「お浄土とは、再び出会う世界です」と。
「私の出会いは、これからも続きます」 その言葉を、私たちは心に留めて生きていきたいと思う。
がんの治療にまず必要なものは医療だが、次に必要なものが精神的な支えだ。もし、宗教家が関わるとするならば、どのような姿勢であるべきなのかを考えさせてくれる、味わい深い内容の本である。