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【新連載】
がんを越え、”働く”を見つめる 
第1回 私のがん体験①~しのび寄るがんの気配

掲載日:2021年5月10日 9時30分

 皆さん、こんにちは。サッポロビールの村本高史と申します。私は頸部食道がん(食道入口のがん)のサバイバーです。10年前の再発手術の際、声帯を含む喉頭を全摘しました。その後、食道発声という方法を習得し、現在は日常会話もほぼ問題なくできるようになっています。

 この度、ご縁があり、日本対がん協会から依頼を受けて連載の機会を頂きました。実際に企業の人事等に携わってきたことから、働くことについて感じてきたことを企業視点、当事者視点の両面から書いてまいります。どうぞ宜しくお願いいたします。

人と向かい合うこと、人の心に働きかけること

 初回は自己紹介がてら、私のキャリアを駆け足で振り返ります。

 私は今、56歳です。昭和の終わり、バブル景気の最中の1987年にサッポロビールに入社しました。30代までは商品開発や広告宣伝などのマーケティング部門と人事部門を交互に経験しました。30代の終わり、思いがけない異動で再び人事部門に戻ることになり、仕事の意味を改めて考えてみたことがあります。

 その結果、「マーケティングと人事は仕事の形は違うけれど、本質的には同じではないか」と気がつきました。以来、私の仕事は「人と向かい合うこと、人の心に働きかけること」だと捉えています。

きっとストレスだろう。

 40代前半、人材育成を中心に課長として担当する中、ある社内研修で参加者が自分の「人生の目的と使命」を考え、みんなの前で宣言するセッションがありました。「人生の目的と使命」と仕事の方向性が合致すれば大きな力が発揮できると考えてのものでした。

 その光景を見ながら、自分はしっくり来るものにたどり着けなかったのが実情です。「人生の目的と使命」を改めて真剣に考えたのは、後々になってのことでした。

 がんもまだまだ他人事でした。テレビや映画の世界の出来事ではないか。でも、がんになると亡くなるんだな、怖い病気なんだな。そんな印象くらいしか持っていませんでした。

 2008年の秋、人事部門内で異動や採用・評価などの統括に変わりました。異動直後から喉を押されるような感じがしていました。様々な出来事が次々起こる慌ただしい毎日でした。きっとストレスだろう。そんなふうに思っていました。44歳になったばかりでした。 (続く)

村本高史(むらもと・たかし) サッポロビール株式会社 人事部 プランニング・ディレクター 1964年東京都生まれ。1987年サッポロビール入社。2009年に頸部食道がんを発症し、放射線治療で寛解。11年、人事総務部長在任時に再発し、手術で喉頭を全摘。その後、食道発声法を習得。14年秋より専門職として社内コミュニケーション強化に取組む一方、がん経験者の社内コミュニティ「Can Stars」の立上げ等、治療と仕事の両立支援策を推進。現在はNPO法人日本がんサバイバーシップネットワークの副代表理事や厚生労働省「がん診療連携拠点病院等の指定検討会」構成員も務めている。

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