私はよく、「ポジティブな人だ」と言われます。
たしかに、「脱毛が楽しかった」と言ってみたり、「かっこいいがん患者になろう」と治療中からオシャレに精を出したり、自分のがんとの向き合い方を回想してみると、ポジティブなんだと思います。
でも実は、私は、自分がポジティブだと思ったことはありません。
「ポジティブでいよう」とか、「前向きに考えよう」と努めたこともないのです。
「よかった探し」にモヤモヤする
そもそも、ポジティブって、どうやってなるものなのでしょうか。
子供のころ見たあるアニメで、登場人物が「よかった探し」をするくだりがありました。たしか、よくない境遇のなかに、あえて「よかったこと」を探し出すお話だったと思います。
大変な目にあった子供たちが、みんなで「よかった、よかった」と笑い合うのを見たとき、私の心は妙にモヤモヤしました。子供ながらにすごくウソっぽく感じたのです。
見て見ぬふりをしているというか、つらさとか怒りとかの気持ちにフタをして「私は幸せ」と口先だけで言っているような気がしました(やけに冷めた子供だ)。
「それって、根本的には、ずっと苦しいままなのでは……?」
たしかに、困難のなかにも「いいもの」は存在します。でもそれは、無理矢理探し出すものではないと思うのです。つらくてしょうがない気持ちを押し殺していると、どこかに無理が生じてしまいそうです。
私の思う「ポジティブ」とは
治療中、私が極端に落ち込んだのは2回。「子宮も卵巣もすべて取る」と医師に言われたときと、人工肛門になった直後の数日間です。
「子宮も卵巣もすべて取る」のときは、病院を出た直後に、「家に帰りたくない」と思いました。今、帰ったら、一人でモンモンと考えて、余計に落ち込みそうな気がしました。
だから、あえて今やらなくてもいい用事をしに街を行ったり来たり。いつもならバスを使う道のりを歩いてみたり、夜道で友人に電話をかけてみたりもしました。
思い返すとそのときは、家に一人でいる静けさよりも、街の喧騒や、夜の風や、あたたかな友人の声といった刺激を、心が欲していたのかなと思います。そうするうちに、ほんの少し気持ちが整ってきて、家に帰ることができました。
人工肛門のときは、気づいたらそういう体になっていたので、落ち込む以外にできることがない状態(しばらく寝たきりだったし)。
心にまったく余裕がなかったせいもあるけれど、話すことも愛想笑いもせず、朝から晩まで押し黙っていました。
「悲しい」とも「イヤだ」とも思わず、起こったことに否定も肯定もせず、とてつもない落ち込みのなかに、ただ心の成すままユラユラと漂っているような感じ。
そうするうち、なぜかいきなり、心が復活しました。まるで、パソコンを再起動したかのようなリフレッシュぶり。「スカーン!」と空が晴れ渡ったようで、大変爽快な気分でした。
その理由ははっきりしておらず、自分でも摩訶不思議で異例すぎる話ではありますが、「そんな立ち直りもあるんだ!」という記憶は、強烈に残っています。
「ポジティブ」とは、そのようないくつもの「心の回復」という経験を重ねることで、作られていくのかなと思います。
これは誰にでも言えることで、「ほんの少しでも気持ちが整ってくる」ことや、ふとした瞬間の新しい気づきは、それぞれが成功体験のようなもの。それらが積み重なることで「次もきっと大丈夫」という自信に繋がっていくのかもしれません。
キグチ流、落ち込み対処法
このような話をすると、「キグチだからできたのだろう。私には無理」と言われることがあります。
たしかに、立ち直り方が極端なことも多い(と、自分でも思う)ので、そう言われるのも無理はないと思いつつ……。でも、いずれの落ち込みのときでも、私がしていたのはとても単純なことでした。
それは、「何もしない」。
落ち込みに対しては、何の抵抗もしません。
いい方向に考えようとか、がんばらなきゃとか、まったく考えずにあえて放置しています。
ただ、そのときの自分の心に従って、「今、やりたいと思うこと」をして、「やりたくないこと」をしないでいます。
「家に帰りたくない」と思えば帰らないし、「沈黙していたい」と思えば口を聞きません。もしかしたら家族や友人に「どうしたのだろう」と心配されるかもしれませんが、とんでもなく落ち込んでいるときぐらい、自分の気持ちを第一に考えてもいいだろうと思うのです。
余裕ができたときに「あのときは、ごめんね」と謝ればヨシ。もしできるなら、事前に「今は、自分の気持ちを整えるのに精一杯だから、しばらく無愛想になるかも」などと伝えておくのも一つの手です。
私も、治療が始まったばかりのころ、母に対してこんなことを言った覚えがあります。
「心配してくれているのは、よくわかっている。でも悪いのだけど、今は、自分の気持ちを第一にさせてもらう」(今思うと、すごいことを言ったもんだ)。
母は、ちょっと驚いたかもしれません。でも、「そうだね、もちろんだよ」と見守ってくれました。
周囲の人も、苦しんでいる人に対して「無理して作る笑顔」なんて望んではいないはず。今は心配をかけたとしても、いつか、だれかがつらい思いをするときがあったなら、今度は自分が支えてあげればいいのです。
ちょっとだけ、心地いいことをしよう
しかし、落ち込みは「ない方がいい」と思われがちですが、本当にそうでしょうか。人間に自然に起こる現象である以上、 “今、それが必要だから”起こっているのかもしれないと思ったりします。心の深部でどんなことが行われているのか分かりませんが、きっと、落ち込みも大事。
私たちは、自分の心や体を自分のもののように信じていますが、自分の意思と関係なく動いている部分がたくさんあります。
落ち込んでいるときも、心は「何とか回復しよう」と、見えないところでがんばっているはず。時間はかかるかもしれないけれど、それを信じて、見守ってあげられたらいいなと思います。
そうはいっても、やはりつらいものはつらい。
私の経験上、ほんのちょっとの刺激があると、心の回復も早くなるような気がします。
ここでいう刺激とは、「心地よさを得られるもの」です。
たとえば、好きなお茶を飲むでも、電車に揺られながら本を読むでも、がんの仲間と語り合うでもいいと思います。私は、風にそよぐ洗濯物を見るのが好きなので、よく洗濯をします。特に、白いシーツが光を透かしながらそよそよするのがたまらない。
自分が心地いいと感じる時間は、心にとっての深呼吸のようなものかもしれません。
ポジティブとは、結果としての現象であって、そうなろうと努力する必要なんてありません。ただ、小さなことでも「前より元気がわいた」と感じたときの自分を「ヨシヨシ」と褒めてあげてほしいと思います。
少しでも、みなさんの気持ちが上向いていきますように。