前回のがんココで義兄(あに・姉の夫)の旅立ちの話を書きましたが、亡くなったその晩、姉と私は、ちょっと不思議な気分になっていました。
なぜかというと最高にステキなアイデアがひらめいたから。
そのアイデアとは、平たく言うと「送り方」についてです。送るというのは、本来、儀式ではあるけれど、私たちは伝統的な形にはこだわらず「たけちゃん(義兄)ならこう望むはず」と思える方法で送ることにしました。
●お通夜ではなく、お別れの会でもなく
その日私たちは、かなり妙なテンションだったと思います。
亡くなったことが現実と思えなかったり、やはりホントのことなんだと思ったり。息が苦しくなるほど涙したかと思えば、「たけちゃんは今、『急にすごく元気になった! サーフィン行ってくる!!』って言っているよね」と、義兄の自由奔放な言動を想像して笑い合ったり。
泣いたり笑ったり、沈んだり活発になったり、とまどうほどさまざまな感情が行き交っていました。今思うと、それもひとつの「大切な人を亡くしたときの、心のあり方」なのでしょう。
いやはやしかし、亡くなったその日に、葬儀のあれこれを考えねばならぬとは。
義兄は葬儀の希望など残していなかったし、義兄のお母さんは「息子のことは、アコさん(姉)が一番よく分かっているから」と、姉を信頼し任せてくれたので、私も姉をサポートして一緒に考えることにしました。
葬儀は、近年よく耳にする「家族葬」が合うだろうと思っていたのですが、聞くと、もっとシンプルな送り方があるらしい。それは「直葬(火葬式)」というもので、お通夜や告別式をおこなわない形だそう。
義兄も、義兄の実家も何の宗教にも属していないし、「たけちゃんらしい送り方」を考えると、これが一番しっくりきました。
しかし、お通夜や告別式は、親しい友人・知人が最後のお別れをできる場でもあります。それは何とかしたいね、と姉と話していました。
それには、亡くなったのが元日であり、火葬場が年末年始のスケジュールだったことが、逆に程よい時間を作ることにつながりました。年末年始は火葬場が開いておらず、お正月明けも混雑しているため、6日ほど待たねばならなかったのです。その間に、会いたい人は自宅に会いに来てもらえるようにしました。
お正月休みの人も多いし、義兄はみんなが会いに来られるように、あえてこの日に旅立ったのではなかろうか。
この6日間は、お通夜ではなく、お別れの会でもなく、タイトルは『たけちゃんに会いに行こうWeek』!義兄は私のネーミングセンスが好きだったので、喜んでくれそうなタイトルを考えました。
●「好きなもの」を並べていたら、ひらめいた!
その晩、姉と私は『たけちゃんに会いに行こうWeek』の準備を始めました。まるで気持ちよく眠っているかのような義兄を横目にゴソゴソと。
まずは、義兄のふとんを覆っていた純白の掛け物(葬儀屋さんが用意してくれた)の上にノルディック柄のブランケットをかけてみました。すると一気にあたりが華やいで、私たちの心もスッと落ち着いていくのを感じました。
ちなみに葬儀屋さんの話では、白い掛け物はドライアイスの冷気を保持する意味もあるそう。できるだけたくさんのふとんを掛けた方がいい、とのことでノルディック柄。ちょっと意外な柄だけれど、義兄なら「その方がいい!」と言うはず。
酸素ボンベやら何やらさまざまな医療機器を片付け、訪れた人たちが「たけちゃんはこんな人だったよね」と語り合えるよう、義兄の好きなものを並べることに。
練習用の小さなサーフボードや愛車のミニカーを飾り、好みの銘柄のビールを山積みに配置。ゴルフクラブのセットを置いて、足元にはゴルフ練習のためのパターマットを敷いて……。
そこで「ハッ!」とひらめいたのが、冒頭の「最高にステキだ!」というアイデアでした。
●義兄も一緒に会話しているかのような
そのアイデアとは、来訪者にパターゴルフをやってもらう、というもの。当初は「来てくれたお礼に、たけちゃんの好きなビールとおつまみのセットをお土産にしよう」という話だったのだけど、パターゴルフの景品にしてみては!?となったのでした。
しかも、5球中4球以上入ったらビール6本パックプレゼント。パターゴルフをやらなくても1本はお土産です。
これがなかなか、予想以上にいい効果を生み出しました。緑色の芝(のようなもの)は柔らかな雰囲気をかもし出しているし、最初はみんなしんみりとした表情だったのが、パターゴルフを始めた瞬間から楽し気な空気に変わっていきました。
何よりもよかったのは、「たけちゃん、1球目いくよ!」「入ったー! たけちゃんのおかげだ!」と、誰もが自然に、義兄に語りかけながらパターゴルフに興じてくれたことです。
大抵のお通夜では、お焼香などをしたあとは、別室で家族や友人と話をするというものだけれど、ここでは義兄自身も一緒に会話に参加することができたのです。義兄が満面の笑みで「おー、やった!」とハイタッチしているのが見える気さえしました。
ゴルフのあとは、義兄も話の輪に加わっているかのように会話が続きました。やっぱり悲しいし、泣き笑いのようなところもあるけれど、「さよなら」ではなく「またね」と言いたくなるような会。家に帰ってからも、義兄との楽しい思い出を心に浮かべながらビールを飲んでもらえたのではと思います。
私たちにとっては、「これぞ、義兄らしい送り方」でした。「たけちゃんは今、『アコ、マリちゃん、天才!』って言っているよね」と、姉と語り合ったものです。
ところで最初の1〜2日は、「5球中4球」を達成できる人がほとんどいませんでした。これでは厳しすぎたかと「5球中3球」にしてみた途端、バンバン入りまくってしまうという。ビールを絶え間なく注文しなくてはならなくなり、数万円が飛んでいきました(笑)。
浜田さんは、腺様嚢胞がんという希少がんに罹患され、患者会「TEAM ACC」を立ち上げた人。「患者会活動が楽しくてしょうがない」と、生前はさまざまな啓発グッズのデザインを手掛け、私もたくさんの刺激を受けてきました。
その浜田さんアイデアを拝借し、私も義兄の等身大パネルを作ってみました(もしかしたら姉がより寂しくなってしまうかもしれないと思い慎重にたずねたら、「すごい、作って!」と乗り気だった)。
●浜田勲さんブログ
●それぞれの「最高の送り方」
亡くなった人を「明るく送る」というと、賛否両論があると思います。違和感を感じる人もいるかもしれません。しかし、少なくとも葬儀に集まった親族は「いい送り方だね」と言ってくれました。
それぞれ、伝統や信仰を大切にしたい人もいれば、静かに送りたい人もいます。私たちにとって大切だったのは、義兄にピッタリなものかどうか。義兄が「コレ最高だよ!」と言ってくれるはずと想像できるようなことをしたいと思いました。
近年では、カラフルな額の遺影やシンプルな葬儀など、送り方もさまざまになってきていると感じます。
これは私の考えですが、「送る」というのは、故人はもとより、「遺族の心のため」という意味もあると思っています。送られる人と送る人の両方が心穏やかになれるような形が、その人にとっての“最高の送り方”なのではと思います。