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第81回 コロナになった!! ……から思う「情報」の難しさ/木口マリの「がんのココロ」

掲載日:2024年11月12日 11時51分


 2カ月ほど前の話ですが、今さらながら新型コロナになりました。初コロナです。コロナの位置付けが5類感染症に移行して早1年数カ月。人混みでのマスク着用や消毒など、ある程度の感染対策は心がけていたのですが、こういうものは、なぜかフッと油断した瞬間にやってきます。

 しかしコロナが特に騒がれていた時期に比べると「大変だ!」という感覚はほとんどなくて「なっちゃったか」というくらいでした。でもやはり、コロナは今も変わらず「新しい感染症」なのです。次第に、流行当時、世間に漂っていた警戒感をジワジワと思い出していきました。

 どんなことでもそうですが、自分ごとになってみると、小さな不安がいろいろと湧き出てくるものです。それらをネット検索してみても、たくさんの情報に翻弄され、なかなか判断がつかない。

 そういった不安とか、その対処には、がんにも共通点があるのではと、ふと感じました。今回はそんなお話です。

「これは陰性?」から湧いた小さな不安と疑問


 私は自分がコロナにかかると思っていませんでした。それどころか「かからない体質なのだ」くらいに思っていました。その理由は、身近な人が感染してもうつったことがなかったからです。

 同じことが何度か重なると、一種の成功体験としてあらぬ思考を芽生えさせるものです。「かからない」と楽観視していました。

 しかしそんなことはなくて、普通にかかりました。夜に突然「うっ、風邪っぽい」と、これから悪化しそうな病の気配を感じました。市販の風邪薬を飲んで早々に布団に入るも、だるさは増していくし、身体中の筋肉は眠れないほど痛くなってくる。具合はどんどん悪くなっていきました。

 思い出すのは2日前、かなりの人混みのなかにいながらも、久しぶりに会う友人たちとの盛り上がり具合に「かからないだろう」の意識が加わって大いに油断し、感染対策を怠ったこと。

「う〜ん、コロナかも……?」

 しかし抗原検査をしてみても、現れたのは目を凝らさなければ見えないほど微かな線。「見間違いか」というくらいのうす〜い線でした。

 「陰性だろう」と一度は安心したものの、フツフツと湧いてくる「本当にそうなのか?」という不安。さらには「潜伏期間ってもっと長くなかったっけ?」とか「微熱くらいしか出ていないけど、そういうこともあるの?」とか「今の変異株ってどういう症状なの?」とか「以前病院でもらった○○という解熱剤は使っていいの?」とか「何日で人に感染しなくなるの?」とか、小さな疑問が次々に浮かんできました。

どれが正しい情報なの!?

淡々と書いていますがかなり具合が悪かったので写真を撮れず。代わりにネコに語ってもらいます。


 すでにコロナが遠い存在になっていたのもあって「だいたいこんな感じ」というくらいの曖昧かつ古い知識しか持ち合わせていなかったワタシ。そういうときの調べどころは、やはりインターネットになります。

 でも、そこでさらに悩むことになってしまいました。医療機関など、できるだけ信頼が置けると思われるサイトを中心に、できるだけ新しい情報を調べて回ったつもりでした(朦朧としていたので定かではないですが)。でも同じことを検索しても書いてある説明はサイトによってさまざまで、場合によっては真逆の解説がされていることもありました。

 ひとまず「抗原検査の結果は、どんなに表示が薄くても陽性と考えた方がいい」というのが濃厚そうだということは分かったのですが、そのほかのことでは何を「正しい」とすべきなのか判断ができないという。

 もしかしたら、真逆の解説であってもある意味どちらも正しくて、その奥には「○○の場合は」などの条件があるのかもしれません。医療の専門的な知識があれば、隠れた意味をつかみ取って判断できるのでしょう。

 しかし素人が文字を目で追っているだけでは「???」が並ぶばかり。「う〜ん、どうしたものか」と思いつつ、とにかく病院に行くことにしました。

情報の用法・用量

改めて、医師の言葉や治療薬があることが、安心感につながるのだと思いました。医師の人柄も大事!


 翌日、病院で検査をすると、くっきりと陽性。喉の痛みで声が出せず筆談でしたが、疑問点をできるだけ質問してみました。

 すると、医師と話すうち「どうしたものか」が解きほぐされていき、「なるほど」となっていきました。自分がどうすればいいのかの方向性がきちんと整った気がして、とても安心しました。

 しかしなぜ、あんなにバラバラだったものが、医師と話すだけでそこまでまとまったのでしょうか。

 それはおそらく、ネット上で得られる情報は一般的なものであって、「今の私」に合うものがどれなのかを見つけられていなかったからだと思います。今の時代、誰でも簡単にたくさんの情報を集めることができるけれど、医師は「今の私」を診たうえで、その人に合う情報がどれなのか、今の状況でどれくらいその情報を気にすべきなのかを教えてくれます。

 言わば、薬の用法・用量を人によって変化させるのと同様に、情報の用法・用量をその人に応じて教えてくれるようなもの。情報のカスタマイズをしてくれているから理解もしやすいし、安心できるのだろうと思いました。

 もちろん、それに加えて診てくれた医師の人柄や話し方からの安心感もあったのだと思いますが。

情報は「諸刃」


 今回はコロナになってみて感じた疑問と不安でしたが、これは、がんや他の病気になったときも同様なのではと思います。

 自分の病気に対しての情報を集めることは、とても大事です。最近では「正しい情報を得よう」という考えやその方法も、だいぶ浸透してきました。

 しかし、情報というのは諸刃なのです。いかに正しい情報であっても、それをきちんと精査できる土台(知識や経験)や、客観的に考えられる落ち着きがなければ、逆に不安を生んだり、間違った判断につながったりすることもあるかもしれません。

 特にがんが見つかったばかりのころなどは、すでに不安でいっぱいなうえ、知識や経験もまだありません。そんなときに諸刃を持って一人で立ち回るのは、精神的、心理的にも相当難しいはず。医療者というのは、その部分を補ってくれる人でもあるのだと思いました。


 ところで今回行った病院は、昨年末に「コロナかも!」となったときお世話になったところでした(がんのココロ第75回『寝込みの年末年始 〜抗原検査が○○に見える〜』https://www.gsclub.jp/tips/21770)。昨年同様、物置っぽいところでの診察。熱でボーッとしていたし、何だかデジャヴのようでした。

 ちなみに治った今も、後遺症らしきものが残っています。嗅覚がほんの少し薄くなりました。もともと感覚過敏で困ることがあったので、ちょうどいい具合になったな、と思っています(笑)。

 

木口マリ
「がんフォト*がんストーリー」代表 執筆、編集、翻訳も手がけるフォトグラファー。2013年に子宮頸がんが発覚。一時は人工肛門に。現在は、医療系を中心とした取材のほか、ウェブ写真展「がんフォト*がんストーリー」を運営。ブログ「ハッピーな療養生活のススメ」を公開中。
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