東京五輪を一緒に見る、そしていつまでも ~大腸がんステージⅣの夫と生きる~【前編】
掲載日:2017年7月27日 15時55分
【前編】余命宣告からのスタート
明日は笑って生きよう
「まず、絶対にあきらめないことです」
インタビューを始めて3時間近く。夫のケアの状況を分厚いノートに記録している潤子さんに、同じように家族や大切な人をケアしている人へ贈りたいメッセージを聞いたら、力を込めてこう答えた。
潤子さんは、50代前半。夫の裕人さんが大腸がんのⅣ期だ。
娘も小学校高学年で女性のがんを患い、何度か手術をした。今は元気だが、経過観察中である。
母も数年前に胃がんになり、胃の4分の3を摘出した。主に同居する姉がケアを担っていて状態も安定しているが、高齢なので、何かと気にかかる。
潤子さんは、3世代のがんと向き合う。自らの座骨神経痛とも格闘しながら。
潤子さんは言葉を選びつつ、
「自分の体を大事にすること」
「はけ口があることかなあ」
と続けた。さらに考えて、こう語った。
「そして、今日は怒ったり泣いたりしても、明日は笑って生きよう、とか。私、ケセラセラ、なるようになるさって言葉が大好きなんです。今までもそう思ってきたから、これからもそれを大事にしていきたい」
突然の余命宣告
がんはしばしば、突然、やってくる。
2016年の夏、東京近郊で暮らす潤子さんは、裕人さんと、ダイエットを兼ねた夜のウォーキングを楽しんでいた。毎回1時間ぐらい歩く。
いい感じで体が絞れてきたころ、裕人さんが「おなかが痛いからやめる」ということが何度かあった。何となく便の出も悪いという。
念のため、かかりつけの医師に診てもらうと、「おなかに炎症がある。大きい病院に行ったほうがいい」と言われた。地元の総合病院に行くと、そのまま入院。検査の結果、大腸がんの可能性が高いと診断された。
9月初めに手術。付き添っていた潤子さんに、医師はこんなふうに告げた。
「腹膜播種(種がまかれるように、がんが腹膜に散らばっていること)です。大腸のS状結腸にあるがん細胞は取って、ストマ(人工肛門)にします。何もしなければ今年まで。治療が功を奏せば、わかりません」
ステージⅣ。しかも、いきなりの余命宣告であった。少し前までは、想像もしなかった事態である。
潤子さんは、どうしていいかわからなくなった。足がガクガクして、地面にめり込んだように動けない。看護師が持っていた裕人さんのおなかの写真が、やけに赤くて、がん細胞なのだろう、白い小さな粒がプツプツと散らばっている様子が、怖かった。
ぼんやりと、「裕人はメンタルが弱いから、とりあえず告知はしない。できたら言わないまま行きたいなあ」と考えていた。
最初の抗がん剤で「ご家族を呼んでください」
9月半ば、裕人さんに「ステージⅢ。治していこう」と少し割り引いて伝えた。9月の終わりには、一時的に腸閉塞になった。
そして、10月頭から抗がん剤を始めた。アバスチン、エルプラット、5-FUという3つの薬を点滴で入れる併用療法。
ところが、投与の2日後に容態が悪化した。血圧がぐんぐん上昇し、上が200、下が130ぐらい。目がギンギンとなり1点を見つめ、呼びかけにも「アーッ」とうなるばかり。こぶしを握りしめてぶるぶると震えている。脳の画像も撮った。
「ご家族を呼んでください」
医師に言われて携帯電話を出したものの、潤子さんは、気が動転してボタンを押せない。娘には、文面は変だったが何とかラインを送り、アルバイト中の息子には看護師が病院の電話からかけてくれた。
子どもたちが駆けつけて、幸い、裕人さんも持ち直した。
2日後に再び意識を失ったが、翌日に回復した。
桜でそろえた成人式の写真
さらに翌日、看護師らのはからいで病院の特別室を貸してもらい、成人式を控えた娘の記念写真を撮ることになった。
朱色を基調に桜の花びらをあしらったあでやかな着物姿の娘を見ると、裕人さんはベッドから起き上がった。潤子さんは、子どもが親に与える力におどろいた。
裕人さんは、黒地に桜の花を散らしたシャツに、桜と竜を描いたブルージーンズ。
潤子さんは、クリーム地に右肩に桜の花びらのシャツ。
高校生の息子は、左胸にエンブレムのような桜の花のシャツ。
いずれも、この日のために買ったものだ。
一家4人とも、桜にちなんだ服装で、カメラに収まった。裕人さんは、鼻にイレウス(腸閉塞)チューブ(腸の中を減圧するための管)を入れながらも、優しく微笑んでいる。
このときは、潤子さんも周囲も、長くはないと覚悟していた。
ホームヘルパー2級(現在は介護職員初任者研修)と介護福祉士の資格を持っている潤子さんは、介護の仕事をしていたが、介護休暇を取った。
(文:中村智志)