いきなり肺がんのステージⅣと診断されたら、「頭が真っ白になる」のが普通かもしれない。しかし、小林豊茂さんの心に浮かんだのは、こんなフレーズであった。
「これで治せて生徒の前に立てたらかっこいいな。『やったぞ、どうだ!』と」
小林さんは、東京都の豊島区立明豊中学校の校長先生である。
明るさを失わず、市民農園で汗をかき、防災教育で被災地へも行く。入院中には、親しい知人たちに、発見や笑いがあふれる「入院報告」メールを送る。
独特の闘病スタイルは、読むだけで元気になれます。たっぷりとお伝えします。(文:中村智志)
前編 「やったぞ、どうだ!」
中編 「ドカンと抗がん剤、どんと来い、ですね」
後編 「誰もが持っている命のタイマー」
前編 「やったぞ、どうだ!」
「先生、それはただ事ではありません!」

社会科の教員として
小林先生は1961(昭和36)年6月、豊島区で生まれた。幼いころから楽天家で、人の評価を気にしないタイプだったという。小中高と吹奏楽のクラブに所属し、トロンボーンやチューバ、ユーフォニウムを演奏していた。創価高校ではプロ野球・日本ハムの栗山英樹監督と同級生で、ファーストネームで呼び合う仲だった。 1984年、東京都で中学校の社会科の教員となった。若いころには、新聞を教材にした授業(NIE)に積極的に取り組んだ。都の教育委員会を経て校長になってからは、防災教育やがん教育にも力を入れていた。 健康診断はこまめに受けている。たばこは吸わない。体調はいいし、食事もおいしい。 それだけに、「肺がん」になるとは思ってもいなかったという。泣いた看護師

元巨人軍投手からもらったエネルギー
涙の真相は違った。 診察後に看護師がついてきて、こう言ったのだ。 「泣いてすみません。小林さんのスタンスにとても感動しました。いつもは慎重に患者さんと話す先生も、『よし、ついてこい』みたいな感じになりました」 夫人は、喫煙者の父を肺がんで亡くしていた。「自分はそういう運命なのかなあ」と宿命を感じたという。社会人から高校生までの3人の子どもは、状況を受け入れてくれた。 先生自身は、「終わりだ」と落ち込むことは全くなかった。 代わりに、ある元プロ野球選手の姿を思い浮かべた。 元巨人軍投手の横山忠夫さん。1970年代にプレーし、引退後は池袋でうどん屋「立山」を営んでいた。大腸がんを患い、その後は肝がんになり、2人の子どもではなく妻から生体肝移植を受けて立ち上がっていた。今も「立山」を開いている。 小林先生は、がん教育で、この横山さんに語り部になってもらっていたのだ。 「がんの仕組みを知っても、がんにかかります。私は、生徒たちに、『がんになってもこういう生き方ができるんだ』と感じ取ってほしいと考えました。心に残れば、いざというときに、知恵が湧きます。何のために生きるかという目的や価値観がないと、知識を生かせないのです」