いきなり肺がんのステージⅣと診断されたら、「頭が真っ白になる」のが普通かもしれない。しかし、小林豊茂さんの心に浮かんだのは、こんなフレーズであった。
「これで治せて生徒の前に立てたらかっこいいな。『やったぞ、どうだ!』と」
小林さんは、東京都の豊島区立明豊中学校の校長先生である。
明るさを失わず、市民農園で汗をかき、防災教育で被災地へも行く。入院中には、親しい知人たちに、発見や笑いがあふれる「入院報告」メールを送る。
独特の闘病スタイルは、読むだけで元気になれます。たっぷりとお伝えします。(文:中村智志)
前編 「やったぞ、どうだ!」
中編 「ドカンと抗がん剤、どんと来い、ですね」
後編 「誰もが持っている命のタイマー」
後編 「誰もが持っている命のタイマー」
がんに負けないドラマが必要
年明け後の2017年2月、放射線治療を受けた。CT検査の結果、左肺の下部のがん細胞が残っていたので、「根治的な治療をしましょう」となったのだ。 小林先生は、「入院報告御愛読の皆様へ 朗報?」と題したメールで、こう書いた。私は前から左下のガンに放射線でとどめを刺したいと願ってましたので、この機会を待ってました。ガンに負けないドラマが必要でしたので、ピンチでなくチャンスと確信しています
入院期間は1週間。治療は1日1回、5日間で50グレイ(グレイは放射線から受けるエネルギー量の単位)。以前は30回で60グレイだから、密度は高い。
放射線の効果はあった。半面、影響で、画像で見ると肺が焼けている(肺臓炎)というが、自覚症状はなく、気にしていない。
2017年4月6日の始業式と、6月3日の運動会での小林先生。(小林豊茂さん提供)
野菜は自給自足
肺がんになる前と後で、小林先生の生活は何か変わったのだろうか。 食生活は同じだ。ただ、お酒が弱くなり、缶ビール1本で眠くなる。「経済的になったと、家内は喜んでいますけどね」と笑う。 体を動かすことも変わらない。 以前から、所沢市内に300坪の市民農園を年間2万円ほどで借りている。午前4時半ごろに起きて8時まで畑仕事をすると、たっぷりTシャツ2枚分の汗をかき、体重が2キロ半も落ちる。ジャガイモ、サツマイモ、インゲン、枝豆、トウモロコシ、キュウリ、ナス、トマト、ブルーベリー、カボチャ、カリフラワー……。 「我が家では野菜は自給自足なんです。レンコンぐらいですかね、作ったことがないのは」 ウォーキングも日課だ。がんになる前から1日1万歩以上歩いていた。今は両足の指先に軽い痺れは残っているが、よく歩き、犬の散歩では一緒に走る。人に寛大になった
気持ちの面での変化はどうなのだろう。 「1日1日を大事にするようになり、人に対して寛大になりました。みんないろんなものを抱えて生きているんだろうな、と思うと、がんを持っている自分だけが悲劇なわけじゃない。お互いに大変なときは助け合ったり、認めてあげたりしなきゃ、と」 家族が病気でも仕事を続ける教員には、「今日やらなくてもいい仕事は明日に回して帰りなさい」と声をかけるようになったという。
5月13日には、東京女子医大の
林和彦・がんセンター長の講演
などの「がん教育」の公開授業
を開いた。(小林豊茂さん提供)
「命のタイマーがセットされたことはわかっています。ただ、そんなことで動じていたら、車の通る道も歩けない。期限が切られたわけじゃなくて、人間には命の限りがあることを再認識させられた程度です。がんがなくたって100歳まで生きる自信はない。命のタイマーは、誰もが持っている。それを、自覚したかどうか、じゃないかな」
がんについての本は、あまり読んでいない。万が一にも、マイナスのイメージを持ちたくないからだという。
自分が終わるわけではない
8月14日、小林先生は再び入院した。リンパに近い首に5ミリぐらいのがんが見つかり、放射線治療を受けることになったのだ。9月いっぱいまで断続的に入院する。 といっても、その合間に学校へも行けば、8月17日、18日には、東日本大震災の被災地・宮城県石巻市を、防災教育の一環で訪ねた。豊島区内の3校の代表として、中2、中3の生徒9人を連れての訪問。石巻のある町会の集会所に泊まった。 危機管理の意識は、現場を見つめないと身に付かない。 病院の配慮で、17日の朝8時半に放射線治療を受けてから東北新幹線に乗り、マイクロバスで先発した生徒たちを追いかけた。 小林先生は、これまでにも繰り返し、生徒とともに石巻を訪問している。8月20日に送信したレポート「やっぱり入院しちゃいました日記2」にはこうある。(小学生が多数亡くなった)大川小学校で、遺族の方の話を伺ったり、最上川沿いを視察しました。一年半前の昨年三月に来た時より、整備されてましたが、被災の風化も進む気がして複雑な思いもありました
小林先生は、がんと災害には通底するものがあるという。
「がんは内的要因、災害は外的要因の違いはありますが、どちらも、自分の原風景を失いやすいのです。災害では、なじんできた風景が一瞬にして失われます。がんでは、元気に生きてきた軌跡が、告知を受けた瞬間からすべてが終わりに思えて、自分で失ってしまいかねない。でも、たとえ原風景を失っても、自分が終わるわけではない」
どちらも、備えあっても憂いあり。しかし、備えをしておけば憂いを減らせる。
小林先生の髪は、今は生えている。しかし、治療前は直毛だったのが、天然パーマがかかった状態になった。
8月初め、インタビューを終えた後に屋外へ出ると、小雨が降っていた。
「髪が、風呂上がりにすぐにクシで伸ばさないと、乾くとアフロみたいになっちゃうんです。オールバックどころじゃない。きっと、新陳代謝が激しいところほど影響が大きいんですね。直毛に戻るのに3年から5年ぐらいかかるそうです」
小林先生はゆるくカールした髪に手を当てた。ちょっぴりうれしそうに見えた。