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【第1回まとめレポート】何のために歩いているんですか? ~がんサバイバー支援ウォーク、九州・四国・中国を巡って~

掲載日:2018年2月23日 21時40分

 2月5日に福岡市の九州がんセンターをスタートして、7月の北海道がんセンター(札幌市)まで、約3500キロの道のりをできるだけ歩いて、がんサバイバーの支援を訴える。全国がんセンター協議会加盟の32病院を訪問して、病院スタッフやサバイバーの声に耳を傾ける。「全国縦断 がんサバイバー支援ウォーク」は、4月に喜寿(77歳)を迎える日本対がん協会会長の垣添忠生が、強い希望で始めた試みです。  このほど、最初のウォークとして、九州、四国、中国を巡ってきました。日々の様子は特設サイトの一言ブログインスタグラムにアップしてきましたが、それだけではとても伝えきれません。垣添のレポートを改めてお届けします。
 2月15日、愛媛県支部の皆さんと一緒に。日本対がん協会愛媛県支部=(公財)愛媛県総合保健協会提供。

右手にのぼり、左手にストック

 2月5日、九州がんセンター(福岡)をスタートしました。

 右手に、緑地に青で「がんサバイバーを支援しよう」と書かれたのぼり、左手にはストック。緑のジャンパーにオレンジのリュック。  これが、私のウォークのスタイルです。のぼりは当初、リュックに差そうと思ったのですが、何かと危険なので、手に持って歩くことにしました。  福岡から佐賀まで歩き、九州を横断して大分へ。フェリーで四国に渡り愛媛。瀬戸内しまなみ海道を通って広島に上陸。2月20日の山口県立総合医療センターまで、6つの病院を訪問しました。

体が熱くなります

2月7日、佐賀県医療センター好生館にて。リレー・フォー・ライフ・ジャパン佐賀の皆さんも駆けつけて下さいました。

 出会いの多いウォークです。  行く先々で、「何のために歩いているんですか?」「その旗は何ですか?」と声をかけられます。  広島県呉市の中国がんセンターへ歩く途中、リレー・フォー・ライフ広島と日本対がん協会広島県支部(公益財団法人「広島県地域保健医療推進機構」)のメンバーと4人で、ラーメン屋さんに入りました。ウォークの意図を説明すると、お店の女性が「私の親もがんで、近いうちに、中国がんセンターに入院します」と話していました。  福岡県内の国道3号を私と反対方向へ走るトラックの運転手さんが、わざわざ窓を開けて、「がんばってください!」と声をかけてくれたこともあります。別の日には、夕方にちょこっと乗ったタクシーの運転手さんが、私が携帯電話で「垣添」と名乗るのを聞いて、「垣添先生ですか? 読売新聞の『地球を読む』を読んでいます。有名な方を乗せるのは初めてで、体が熱くなります」とおっしゃいました。ホテルに着いたら荷物を運んでくれて、寄付もくださいました。

ウォークの意義を再確認

 福岡県のホテルでは、タイ人の年配女性のマッサージを受けました。ウォークの思いを話すと、1000円寄付してくださいました。タイでは昨年暮れ、人気ロック歌手が細長い国の南から北まで2200キロを2カ月かけて走り、医療機器が足りない病院への寄付を訴えました。約41億円も集まりました。彼女はそのときにも寄付したそうです。  マッサージと言えば、大腸がんステージ4のサバイバーという60代ぐらいの女性から受けたこともあります。抗がん剤治療から5年を経過し、いまは経過観察中です。1日歩いて全身コチコチの体には優しすぎる、なでるようなマッサージでしたが、「高齢のサバイバーが働く」という新しい就労の形に触れた思いがしました。ここでは、私から“寄付”を差し上げました。  一緒に歩いたある男性は、義母ががんで亡くなったときに、奥様が強い喪失感で、1年ぐらいうつ状態になったそうです。自分で情報を集めるのも大変で、そのときのつらい気持ちを語ってくれました。  ほかにも、「お金の切れ目が治療の切れ目」となる現実を訴えた女性のサバイバーとの出会いや、病院スタッフの真摯な姿勢に触れられたことなどで、支援ウォークの意義を再確認できる日々でした。  2月14日、大分県立病院で大歓迎を受けました。

海の青にレモンの黄色

 道中は楽しみやハプニングもたくさんあります。  大分県の湯布院では、老舗旅館「亀の井別荘」の中谷(なかや)健太郎さん、日田市大山町の大山町農協の組合長・矢羽田正豪(やはた・せいごう)さんと旧交を温めました。  中谷さんは若いころ、東宝の助監督をしていました。黒澤明監督の「蜘蛛の巣城」では、ラストの場面の撮影で、ピンと張ったピアノ線に沿って何本もの弓矢が放たれ、あの三船敏郎さんが、矢を受けながら本当に怖くなってしまったそうです。後日、黒澤監督の自宅へ押しかけて「黒澤出てこい!」と叫んだとか。  中谷さんは物理学者の中谷宇吉郎の甥です。矢羽田さんは、「梅栗植えてハワイへ行こう」の経営理念からもわかるように、大変なアイデアマンです。ぬるかんにした地酒「鷹来屋」を味わいながら、楽しいひとときでした。  

2月16日、瀬戸内しまなみ海道を歩いて渡りました。

 土地の素顔は、一人で歩くことで初めて見えてきます。  瀬戸内しまなみ海道はサイクリストの聖地です。しかし、歩いている人はいません。私は、瀬戸内海の大小さまざまな島が織りなす光景を楽しみながら、ゆっくりと進みました。どの島もミカンやレモンの栽培が盛んで、春を予感させる陽射しのもと、海の青に黄色やオレンジがよく映えます。愛媛から広島へ。島の様子が刻々と変わることを実感できます。二度とできない贅沢な歩き方ですね。  来島(くるしま)海峡は、日本三大急潮流の一つで、「一に来島、二に鳴門……」とうたわれてきました。潮の流れが速く、ピシャピシャピシャピシャ、と音を立てています。しまなみ海道最大の来島海峡大橋から眺めると、この潮に逆行する船はスピードが遅く、潮の流れに乗る船はスピードが速い。車でさっと通りすぎたら、気付かなかったでしょう。

山の中のドーベルマン

 ハプニングもあります。  九州のある山中で道に迷ったときに、雪の舞う中、一軒家に飼われていた大きなドーベルマンに猛烈に吠えられました。のぼりに興奮したようです。狭い道で、なるべくドーベルマンから遠いところを歩きながら、 「あの太い鎖が切れて飛びかかってきたら、ストックで応戦するしかない!」  と覚悟を決めました。  人との交流だけでなく、自然との交流もできる。そして、フグやタイの刺身など地元の味も堪能できる(国道沿いは案外店がなくて、お昼は豆大福、という日もありましたが)。ハプニングも含めて、このウォークの魅力です。

同じ思いでつながっている

2月6日、マイナス1℃の雪道を佐賀県医療センター好生館に向けて歩きました

 北海道かと思うほど雪に見舞われたりしましたが、ただの一度も、くじけたり、「ウォークを始めなければよかった」と思うことはありませんでした。各メディアの取材も多く、手ごたえを感じています。  応援メッセージやインスタでのコメントをいただき、みなさんと同じ思いでつながっていることを実感しています。手がかじかみながらもスマホで写真を撮ってコメントを上げた甲斐がありました。ご支援、本当にありがとうございます。  来島海峡大橋、大三島橋、多々羅大橋、生口大橋、因島大橋……。しまなみ海道を彩る橋はどれも見事な造形美で、人類の底力を漂わせています。こんな素晴らしい橋を造れる人間が、がんという身近な病に対する理解が不十分なために、サバイバーを孤立させたり差別したりしてしまう。そんな状況が許されていいはずはありません。改めて、その思いを強くしています。  筋肉痛はありますが、この先のウォークでも、どんな出会いがあるか、とても楽しみです。これからも、よろしくお願いいたします。写真は、ウォークにご同行いただいたみなさんからも、ご提供いただきました。個々のお名前は省略させていただきます。どうもありがとうございました。 がんサバイバー支援ウォーク九州・四国・中国編の行程。
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