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第3回 今の私が一番いい 
 木口マリの『がんのココロ』

掲載日:2018年4月18日 11時59分

今の私が一番いい

 木口マリの『がんのココロ』は、がんにまつわる「心」と、がんのはてなを読み解く「その心は⁈」を、ちょっとゆるめにお話ししていきます。かたりべとなるのは、子宮頸がんサバイバー(=体験者)であり、がん関連の取材に取り組むフォトグラファー/ライターの木口マリです。  私のがんが発覚したのは38歳のとき。体の不調を感じ、病院を受診したことで見つかりました。それからなんやかんやで1年間、治療三昧な日々となりました。その後の後遺症もいろいろ。しかし、そんなことがあっても、以前より今の方がいい人生だと思っています。今回はそんなお話をしたいと思います。

がん発覚からの散々な1年

 始まりは、「検査結果が出たのですぐ来てください」という病院からの電話でした。その直後は、様々な思考が脳内をぐるぐる巡り、それこそ「死」という部分にまで及びました。しかし、次第に頭の整理がついて何となく覚悟が決まったことと、「早めに見つかったのだろうから、きっとすぐに治る」という楽観もあって、心の奥底に不安が漂いながらも意外に淡々と事を進めていくことができました。家族には、手術日まで全て一人で決定してから伝えたくらいです。  ところがそれからは、そんな淡々具合を覆す衝撃の連続でした。  腫瘤(しゅりゅう/がんのかたまり)を作らずに広がる珍しいタイプのがんであり(実はそのために通院から5ヶ月間は「がんではない」と言われ続け)、「早期発見だし」という期待は完全なる幻で、最初の手術では取りきれず、2度目の手術では子宮とその周辺までごっそり切除することになり、そこで終わりと思いきや、さらに治療が必要になって抗がん剤治療へと引き継がれ、「さすがにこれ以上、何もあるはずがない」と確信したところで、どういうわけか腸閉塞の中でも特にひどい絞扼性(こうやくせい)イレウスに見舞われ、年末にうなり声をあげまくるはた迷惑な急患となり、深夜の緊急手術から目覚めてみたらお腹に人工肛門が造られていて、失意のどん底に落ちながらも驚異的なスピードで立ち直ってみたら、今度はそれを体内に戻すとのことで、半年後にはもう一度手術をする羽目になるという。  これが、がんが見つかってからの私の1年でした。あんまりいろいろ起こるので、「なんだよ!」とつぶやいたこともあります。  しかし、これが悪い1年だったのかというと、そんなことはなかったのです。それどころか、この経験があったからこそ、私は「もっと好きな私」になれたような気がします。

がんは「スパルタ先生」

 私は、「どんな経験にも得るものがある」と思っています。いやなことだらけに見える「がん」も、もちろん例外ではなく。  がんにならなければ知り得なかったであろうことは実に多く、列挙したらとんでもなく長いリストになってしまいそうなほど。 「苦なく息が吸えることのありがたさ」のような身近なことから、死生観に関することまで、様々なものがその中に並んでいます。自分自身についての新しい発見も数多くありました。  いずれも貴重な学びでしたが、それらの中でも最も知って良かったことのひとつは、「人のあたたかさ」でした。  治療中、私は本当に多くの人に支えられていました。家族や友人、そしてたくさんの医療者たちです。特に医療者は、病気の治療はもちろんのこと、大きな心の支えともなってくれました。医師、看護師といった“仕事”という枠ではなく、人として「支えよう」という強い想いを感じたのです。  がんの治療は、手術や抗がん剤など、想像するだけでも怖いものが多い。私も不安にさいなまれることがしばしばありました。そんなときはよく、主治医や病棟の看護師さんに相談していました。みんな、とても忙しいはずなのに、そんなそぶりを全く見せずに寄り添ってくれたものです(そうでない人も、もちろん数人はいたのだけど)。必要なときはいつもかたわらにいて、力を貸してくれたり、何かあれば一緒に喜んでくれたり。「こんなに想いを込めて、人のために働く人たちがいるんだ!」と驚嘆したものです。  私は病院で、現代社会の中で見失いがちな「本来、人にある心のあたたかさ」を、あらためて見ることができたのでした。

毎度「見納め」と思っても、
なかなか見納めにならなかった病棟からの朝焼け
 それ以降、私も、彼らのようにあたたかい人でありたいと思うようになりました。何かの場面では、思いやりを持って人に接したい、と。  そしてまた、誰の心にもそういったあたたかさは備わっているに違いないとも思っています。表面に見えるものだけでなく、深いところでその人の持つあたたかさを見つけていければ、人間の世界はもっと素敵に思えるはず。人というものを、もっと信じていけるのではと思っています。  私は、治療していた1年を通じて、様々なものを見直す機会をもらいました。そこで学んできたことは強い自信となり、今の私を作っています。がんにならずに10年生きたとしても、この1年ほどの学びを得ることはできなかったかもしれません。  そう考えると、私にとって、がんと、がんに付随した全ての経験は、飛躍的に人間の幅を広げてくれた先生であったように思います。相当にモーレツでキョーレツなスパルタ先生ではありますが。

何かを見つけられたなら、見つける前よりずっといい

「がんにならない方がいい」  それは、そうだと思います。がんは、精神的にも、身体的にも、家族などの身近な人々の気持ちの面でも大変な病気です。ついでにお金もかかる。将来に向けて描いていた道も、全て崩れてしまうかもしれません。  でも私は、「がんになったらなったで、それはひとつの素晴らしい道」だと思っています。がんは大きな経験であり、大きな経験には無数の輝きが潜んでいるからです。それらはきっと、その道を歩まなければ見つけることのできないものばかり。苦しいときにはなかなか見えないこともあるけれど、必ずそれらはあるものです。  誰の身にも、起こってほしくないことは起こります。歩いていて事故に遭うかもしれないし、大切な人の死に直面することもあります。それらを防ぐために、人間ができることなどは本当に少ない。  それならば、起こったことを不運だと嘆くよりも、その中に埋まっている素敵なものを探す方がいいと、私は思います。  がんもそのひとつで、できなくなったことよりも、がんになったからこそ得たものを数えていく方がいい。  がんは、失うものは大きく、これから失うかもしれないものへの不安もあります。だけど、もし、ひとつでも得たものがあるのなら、それはいい人生。何かを見つけられたなら、見つける前よりもずっといいと思うのです。  大変なことを乗り越えて、たくさんのものを得てきた自分を、私はとても誇りに思っています。これまで知り合ってきた多くのがん患者さんや、がんの家族を持つ人たち、がんで家族を失った人たちもみんな、「険しい山を登ってきたすごい人たち」。それぞれにいろんなことを超えて、いろんなことを見つけてきた人たちです。そう思うと、彼らに会うたびに尊敬の気持ちでいっぱいになります。  いろいろ辛いことがあっても、これまでの中で今の自分が一番いい。そして明日の自分はもっといい。「経験の中からちょっとずつ何かを見つけて新しい自分になっていく」、そんな日々を、今、がんに直面しているすべての人が送っていけたらと思っています。 その道を行ったからこそ見られる景色もある
療養中フォトギャラリー by iPhone ©木口マリ

木口マリ

「がんフォト*がんストーリー」代表 執筆、編集、翻訳も手がけるフォトグラファー。2013年に子宮頸がんが発覚。一時は人工肛門に。現在は、医療系を中心とした取材のほか、ウェブ写真展「がんフォト*がんストーリー」を運営。ブログ「ハッピーな療養生活のススメ」を公開中。

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