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6月30日 リレー・フォー・ライフの力

掲載日:2018年7月3日 14時28分

垣添忠生の全国縦断がんサバイバー支援ウォーク 一言ブログ 6月30日





 ウォーク第8回は、岩手県からスタートして青森県へ向かいます。
 今朝は午前4時に起きて筋トレ、ストレッチを行い、朝食もしっかり食べて家を出ました。東京駅まではタクシーで。これは、サバイバー支援を訴える幟が、都会の電車では何かと迷惑をかけてしまうからです。タクシーの女性の運転手さんにウォークの説明をすると、降車時にご寄付をいただきました。ありがたいです。

 午前7時36分の東北新幹線で、いわて沼宮内まで。10時過ぎに到着すると、リレー・フォー・ライフ・ジャパン八戸の小野さんが出迎えてくださいました。サバイバーであると同時に、遺伝性の多発性嚢胞腎というご病気ですが、とてもお元気です。30歳の息子さんも最近、同じ病気が判明しましたが、自分も元気で新しい薬も出ていることから、きちんと伝えたそうです。この病気は、私が現役の泌尿器科医のころには発病の原理がわかっていませんでしたが、原理がわかれば薬も生まれます。
 遺伝性の病気をどう子どもに伝えるか。これも大きなテーマだと私は考えています。

 小野さんといわて銀河鉄道に乗って、3つ目の小繋(こつなぎ)まで。入会権をめぐる農民と地主の争いで、大正時代から半世紀にわたり裁判が続いた「小繋事件」があったところです。
 駅に着くと、ホームで、リレー・フォー・ライフ・ジャパン八戸の女性が3人、横断幕を持って迎えてくれました。73歳の松本さん、その長女の松浦さん、西村さんです。このうち松本さんは、乳がんと子宮がんのサバイバー。松浦さんともう1人のお嬢さんも乳がんになられたので、遺伝性かもしれません。

 松本さんが罹患されたのは20数年前。手術と放射線治療を受けたあと、どう生きていいかわからなかったそうです。周囲にもがんのことを隠しており、うつ状態を自覚していましたが、たまたま新聞の取材を受けて腹を括ったとのことでした。
 そんな松本さんの人生が変わった大きなきっかけは、リレー・フォー・ライフ。2014年から毎年参加されていて、いろいろなサバイバーの方と知り合いました。リレー・フォー・ライフ・ジャパン八戸の小渡章好実行委員長の記憶では、最初は表情に翳りがあったそうです。今ではにこやかで、小渡さんは「聖少女」と呼んでいます。母娘3人で実行委員も務めています。松本さんご自身、「がんをどんどんオープンにして、別人になりました!」とおっしゃっています。
 リレー・フォー・ライフはただ24時間歩くだけではありません。リレーの力、ものすごく大きな意味を感じました。

 さて、ウォークです。小繋駅から、小野さん、松本さんと3人で歩き、ほかの2人の方は車で伴走しました。8キロほど歩いたところで小野さんが足にマメができてリタイヤ。その後、松本さんも「これ以上は先生に迷惑をかけてしまいます」とダウン。
 それからは私が1人で歩き、二戸市のホテルに午後5時過ぎに到着しました。女性4人が待ってくれていて、5人で乾杯(生ビールは私と小野さんだけですが)! ウォークの意義を事前にお聞きしていた支配人がサービスしてくださいました。
 おかげさまで、第8回も上々のスタートを切れました。


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