【シリーズ 明日のがん医療】がん医療は日進月歩だ。10年前、20年前にはなかった薬や療法がいくつも誕生している。中でも注目されるのが、光免疫療法だ。米国の国立衛生研究所(NIH)の主任研究員、小林久隆さんが開発した療法で、2012年には、当時のオバマ大統領が一般教書演説(施政方針演説)で取り上げて、期待を寄せた。
簡単に言えば、テレビのリモコンと近いレーザー光(近赤外線)を当てることでがん細胞を破壊する、という仕組みだ。2018年3月から、日本で最初に治験に取り組んだ国立がん研究センター東病院(千葉県柏市)の土井俊彦・副院長に話を聞いた。(文・日本対がん協会 中村智志)

武器はIR700という色素
光免疫療法は、どんな療法なのか。 まずは、中学か高校の理科で習った「抗原抗体反応」をおさらいしよう。 人間の体には、免疫機能が備わっている。体内に病原菌などの異物(抗原)が侵入してくると、その異物に対応する抗体を作る。抗体は抗原に結合して、抗原をやっつける。これが抗原抗体反応だ。 国立がん研究センター東病院で行った光免疫療法の治験の対象は、頭頸部のがんのうち、がん細胞の表面にEGFRというタンパク質があるタイプのがんだ。 もともと、EGFR(抗原)に対する抗体として、アービタックスという薬がよく使われてきた(アービタックスは薬の商品名で、一般名はセツキシマブ。たとえるなら、商品名はプリウス、一般名は自動車という関係)。アービタックスを点滴で体内に入れると、がん細胞にたどり着き、がん細胞と結合してやっつける。 ところが、米国の国立衛生研究所(NIH)の小林久隆さんが開発した光免疫療法では、アービタックスと同じEGFR抗体を、がんを倒す武器(薬)としては使わない。武器をがん細胞まで運ぶ運搬車として使う。その武器は、IR700という色素だ。がん細胞が風船が弾けるように破裂
仕組みはこうだ。 EGFR抗体にIR700を付けた薬を点滴で体内に入れる。すると、抗体がIR700を、EGFRがあるがん細胞まで届け、がん細胞の膜状に結合する。 IR700は、光が当たると、物理的なエネルギー(熱)を放出する性質がある。したがって、がん細胞と結合したIR700に光(近赤外線)を当てると、IR700が放つ熱が、がん細胞の膜に小さな穴を空ける。すると、細胞の外から水などが入り、がん細胞は、短時間に破壊され死滅する。 つまり、EGFR抗体(運搬車)とIR700(武器)という2人の力を合わせて、がん細胞を倒すのだ。 国立がん研究センター東病院の土井俊彦先生は語る。 「抗がん剤や分子標的薬は、生物学的にがん細胞を殺すものです。だから、マウスで効いても人間に効かないということがありました。これに対して光免疫療法は、物理化学的にがん細胞を破壊します。細胞膜の構造は人間もマウスも基本的に変わらないので、マウスで効けば人間でも効くはずです」
少ない副作用
では、副作用はないのか? 土井先生は、少ないとみる。 「光免疫療法ではEGFR抗体は単なる運搬車なので、アービタックスなどの分子標的薬として使う場合より、少ない(皮疹などの毒性がほとんど出ないぐらい)投与量で済みます。投与量が少なければ、人体への負担も軽い。また、万一IR700が正常細胞にくっついても、光を当てなければ何も起こらないので、正常細胞が傷つく心配はありません。IR700はいずれ尿として体外に排出されます。抗がん剤や分子標的薬と違い、光免疫療法は、体内に入ったあとも人間がコントロールできるのです」 光免疫療法は、全く新しい技術なのだ。しかし、ここまでなら「光療法」であり、「免疫」がない。「免疫」はどこから来るのか? 土井先生が解説する。 「光免疫療法は、免疫細胞は殺さない。IR700によってがん細胞が破壊されると、細胞の中身が体内に飛び散ります。それが効率よく免疫を誘導(生ワクチンのように)する効果をもたらして、眠っていた免疫細胞が動き出すのです」 その結果、全身の免疫細胞が活性化を起こすことで、光を当てていないがん細胞も倒せる可能性が高まるという。常識的には「がんが転移した患者は、局所治療では治らない」と言われる。しかし、光免疫療法では、局所治療を受けた患者が長生きしている。 米国で行われた頭頸部の進行がんに対する治験では、15人中14人で奏効し、7人が完全奏効(CTなどでがん細胞が見えない状態)だという。余命3カ月とみられた人が1年以上健在だという例もある。 治療の安全性を確かめる目的で2018年3月から実施された国立がん研究センター東病院での治験でも、患者数は数例だが、米国と遜色ない結果を得られている。 光を当てる機器の開発も含めて光免疫療法の実用化に取り組むのは、「ガン克服。生きる。」を長期的ミッションに掲げる米国のベンチャー企業「楽天アスピリアン社」だ。楽天の三木谷浩史会長が出資しており、会長を務めている。三木谷会長は、父のすい臓がんをきっかけにがん治療について調べたところ、小林先生と人を介して出会い、個人として数億円の支援を決めたという。 米国で薬を承認する米食品医薬品局(FDA)は、2018年1月、光免疫療法を承認審査を迅速に進める「ファストトラック」に指定した。承認までの道のりも早まりそうだ。