心穏やかに 〜辛さを心に抱えているとき〜
踏切の夢
以前、こんな夢を見ました。 がんが予想より進行していて、医師から「さらに積極的な治療をしなければならない」との話を受けたころに見た夢です。◆
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私は、がんの告知のとき、それほど大きなショックを受けませんでした。「もしかしたら、近く命が尽きる可能性もあるのだろう」と思いもしたけれど、短時間で気持ちはおさまり、冷静に対処することができました。
しかし、「子宮と卵巣と、それに付随するものをすべて取る」と言われたときの落ち込みと恐怖は、非常に大きく重たかったことを覚えています。しばらくの間、ご飯をまったく食べられなくなってしまいました。それでも泣きたくなることもなかったし、虚ろなものがありつつも心は鎮静していました。少なくとも、自分ではそう思っていました。
そんなときに見たのが、この踏切の夢です。おそらく、起きている間は落ち着いていても、心の奥底ではギリギリの精神状態だったのだろうと思います。夢から逆に、自分が抱えていたものの大きさを自覚したのでした。
夢と“心の活動”
入院中に友人からもらった本に、夢の意味についてのこんな一節を見つけました。 「その日一日の活動を終えた心が、夢を見ることで整理整頓され、元のきちんとした状態に戻るのだと考えられるようになっています」(ジェンマ・エルウィン・ハリス編『世界一素朴な質問、宇宙一美しい答え』河出書房新社) これが事実かどうかは分かりませんが、何となく納得するものがありました。無意識のうちに繰り広げられている“心の活動”があっても不思議ではないと思います。 「時が解決する」という言葉がありますが、心に付いた傷を修復しているのは自分自身ではないかと、私は思っています。体の傷を、体が自分で治そうとするように、心の傷も、心が一生懸命に治そうとしているのでは、と。無意識に夢が心を整えてくれるのと同じく、人知れず心を回復させる能力が、人には備わっているんじゃないかと思うのです。
塵が湖底に沈むのを待つように
精神的に本気で辛いとき、無理をして気丈にふるまうことが、私は好きではありません。というよりも、心のためには逆効果とさえ思います。「我慢が美徳」「苦しさを人に見せない」といった風潮が少なからず日本にはありますが、「それが本当に、今の自分にとって一番いい方法なのか」と考えると、「違う」というのが私の思いです。
辛いなら「辛い」と言っていい。「平気だ」と言いつつ心で泣いているのは、余計に心を弱らせるだけのような気がします。
そんなときは、辛さに抵抗せずに流れに身をまかせ、ある程度気持ちが落ち着くのを待ちます。水中に舞い上がった塵が、ゆっくりと湖底に沈んでいくのを待つように、ただじっと。
するとそのうち、沈んでいった塵も直視できるようになるし、「湖水が案外きれいだな」とか思ったり、そこで一緒に泳ぐ人を見つけたり、きれいな魚を見つけたり、いろいろ見えてくるものです。ときどき波風が立って、落ち着いていた塵が舞ってしまうかもしれないけれど、そうしたらまた待てばいい。気持ちがオッケーを出すまで、時間をかけていいと思うのです。
もちろん、「我慢することでまっすぐ歩いていける」という人もいるでしょうし、何が一番いいのかはそれぞれ違います。「こうあるべき」というのをとっぱらって、「自分が一番安心できる方法は何なのか」を、素の心で思い描いてみてもらえたらと思います。
心の「治そうとする力」を信じてみる
人は、自分の心のことでさえ、気づかない場合があります。ときには、どこかで気づいていながらも見ないようにしていることもあるでしょう。それを自分の弱さのように感じるかもしれません。
でもそれらは、必ずしも「今すぐ気づかなければならないもの」や「今すぐ直視しなければならないもの」とは限らないと思います。もしかしたら、「今は見るべきではない」と心が判断しているのかもしれません。それは、心に備わっている、心を守るための機能なのかもしれないと思います。そしてさらにその奥では、散らかったものを少しずつ整理整頓してくれているのでしょう。
とはいっても、状況によってはただちに行動に移さなければならないこともあると思います。心の準備ができるのを待つ時間がない場合も多い。そんな忙しさが、逆に気を紛らわしてくれることもあるし、恐怖や疲労を増幅させることもあります。心も状況も、なかなか一筋縄ではいきません。 それでもいつか、塵は沈んでいきます。ついた傷は癒えていきます。心の「治そう」とする力を信じてみるのも、ひとつの方法かもしれません。
「心穏やかに」――以前、友人が贈ってくれた言葉です。あたたかな響きがあって、とてもいいなと感じました。そんなあたたかさを、私も辛さを抱えている人に贈ってあげたいと思います。いつも穏やかな気持ちを心のどこかに持っていられますように。
心穏やかに
木口マリ
「がんフォト*がんストーリー」代表 執筆、編集、翻訳も手がけるフォトグラファー。2013年に子宮頸がんが発覚。一時は人工肛門に。現在は、医療系を中心とした取材のほか、ウェブ写真展「がんフォト*がんストーリー」を運営。ブログ「ハッピーな療養生活のススメ」を公開中。