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なかにし礼さんの「もう一人の自分を作る」

掲載日:2018年10月17日 12時20分

名医のひらめきを呼んだ決断

 作家・作詩家のなかにし礼さんは、食道がんを経験されています。  2012年2月に見つかり、「4センチ5ミリ、余命8カ月」と診断されましたが、国立がん研究センター東病院(千葉県柏市)で陽子線治療を受けて、消えました。  それから2年半、がんが再発。「穿破(せんぱ)」になる寸前の状態でした。穿破とは、がん細胞が臓器の壁を突き破ること。なかにしさんのがんは、気管支に密接していました。穿破が起こったら最くても4日で亡くなるという、まさに崖っぷちです。
 医師からは「切らないと、本当に明日をも知れぬことになります」と迫られます。しかし、なかにしさんは若いころに医師に誤診された影響で、心筋梗塞を抱えています。長い手術に耐えられるか不安がありました。それでも、「たとえ死ぬことがあっても、それは仕方ない」と手術を決めたそうです。  4時間以上に及ぶ手術でも、がんはとれませんでした。だが、外科医ががんのすぐそばを通っている静脈を1本、切断しました。この静脈ががんを気管支のほうへ押しているかもしれないというひらめきです。  それが功を奏しました。穿破の危機を脱し、抗がん剤でがんを縮小させ、陽子線治療で消えました。その間、栓もしていない洗面所に血がたまるほどの大量吐血をして、穿破が起きたと信じ、心底恐怖を味わったたこともあります(鼻血でした)。  名医のひらめきを呼んだのは、なかにしさんの積極的な決断とも言えるでしょう。
なかにし礼さん。「今日でお別れ」「北酒場」など作詩した歌は4000曲以上、『長崎ぶらぶら節』(直木賞)など小説・著作も多数(写真は本人提供)。  

小説が生み出した活力を流し込む

 そんななかにしさんに、11月11日に有楽町朝日ホールで開かれる日本対がん協会60周年記念講演会の記念講演をお願いしました。  打ち合わせに伺ったのは9月1日。1時間ぐらいお話をした中で、印象に残ったのは、 「ボディーだけになってはいけない」「医師任せにしないで、積極的になる」  という言葉です。  精神や頭脳が活発化することは、体にもいい影響を与える。なかにしさんは「闘病している自分とは別に、もう一人の自分というものを作りだす」と言います。もう一人の自分が生み出した活力を闘病している自分に流し込むのです。  なかにしさんの場合、活力の源は創作でした。サンデー毎日で小説『夜の歌』の連載を開始したのです。小説は、大量吐血の場面から始まります。旧満洲の牡丹江で生まれたなかにしさんは幼くして、人間の極限状況を見つめます。1960年代、70年代の芸能界の才能と活気あふれる世界も描かれています。自身の集大成のような作品です。

野菜作りでも、お風呂に入ることでも

小林豊茂先生。今回の経験を『校長先生、がんになる』(第三文明社)にまとめて出版した(2017年8月撮影)。

 だれもが小説を書けるわけではありません。しかし、「もう一人の自分」を作りだすことならできます。以前、がんサバイバー・クラブのシリーズ記事がんと生きるで取材させていただいた中学校校長の小林豊茂さんは、市民農園を借りて、Tシャツ2枚分の汗を流しています。「我が家では野菜は自給自足なんです。レンコンぐらいですかね、作ったことがないのは」とおっしゃっていました。犬の散歩もしています。  体を動かすのが大儀なら、横になって好きな映画を観るだけでもいいかもしれません。食べることでも、水を飲むことでも、お風呂にゆっくり入ることでも……。  なかにしさんの講演のタイトルは「ボディーだけになるな ~がん治療は医師任せにしない~」にしようと考えています。(文=日本対がん協会 中村智志)

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