家族でがんのことを話す機会を
新しい一年が始まりました。皆さんはどのようにお正月を過ごしましたか。 おせち料理を食べながら家族団欒の時間を過ごし、「今年も健康に過ごせるように」そんな会話のやり取りがあったかもしれません。でも、もしがんになったら、最期をどう迎えたいか、といった話をしたご家族はどれだけいるでしょうか。
おせちの黒豆には元気に働けることを、海老には長生きを―とそれぞれ願いが込められているように、時代は変わっても、元気で長生きをしたいという願いは今も昔も変わりがないのかもしれません。 しかし、願いとは裏腹にがんなどの病気になってしまうこともあります。 その時、患者さん本人が辛いのはもちろんですが、子どもも辛い思いをすることがあります。 ホットラインにも娘や息子から、親のがんに関する相談が日々寄せられています。親といっても高齢の方もいれば、まだ高齢とはいえない年代の方もいます。また、意志表示ができる方もいれば、認知症などでそれが難しい方もいます。いずれにせよ、親のがんとどう向き合い、どう関わるか悩むところです。 特に認知症などで本人の意向が確認できない状況は、娘や息子にとって苦しいものがあります。本人に代わり、治療するか否かなどあらゆる選択を委ねられることになるためです。
「どのように決めたらよいか」 「自分の考えで決めてしまって本当によいのか」 と戸惑いの声は少なくありません。 「自分の決断が親の命を左右するのではないか」 と苦しい胸の内を話す方も多く、決断することの負担感や重圧は想像以上に 大きいと感じています。 日頃から、もしがんになったら…、どういう最期を迎えたいか…と話していたら、ある程度本人の意向が推測できて、本人の意向がまったく分からないよりは選択の助けになるのではないでしょうか。
それでもなお迷いや葛藤は生じます。元気でいる時にこのような話をするにはためらいがあるかもしれません。でも、想像してみてください。 もし親ががんになり、自分にその選択を委ねられたらと…。もし自分ががんになり、子どもにその選択を委ねることになったとしたらと…。どう最期を迎えるかは、「どう生きるか」ということです。お互いを大事に思うからこそ、日頃からがんになった時のことを話す機会を設けてみてはどうでしょうか。 そして、もしそういう状況になった時、どうか自分ひとりで決めなくては、と思わないでください。医師や看護師、ソーシャルワーカーなどの医療従事者を頼ってほしいと思います。
患者さんは家族が悲しむからと、自分の最期に関する話題を避けたり、自分なりの考えがあっても家族の気持ちを思って本音をいわなかったりすることがあります。かえって他人だから本音をいいやすいと思うこともあるでしょう。医療従事者との何気ないやり取りのなかに患者さんの気持ちが隠されていることもあります。もちろん医学的な観点から意見をもらうことも必要です。 患者さんがどのような価値観をもち、どのような人生を送ってきたかなど、あらゆる角度からよく考え、家族と医療従事者などが皆で十分に話し合いを重ねるということが大切です。