がんサバイバー・クラブのサイトでもお伝えしてきた垣添忠生・日本対がん協会会長の「全国縦断 がんサバイバー支援ウォーク」が本になります。『「Dr.カキゾエ黄門」漫遊記 がんと向き合って50年』(朝日新聞出版、1500円+税)。2月7日の発売です。ウォークの専用サイトに掲載している一言ブログを大幅に拡充しました。インスタグラムにアップしてきた写真も選りすぐって載せており、読者も垣添と旅をしている気分になれます。(文=日本対がん協会・中村智志)
嵐山光三郎さんが名付け親
がんをテーマにした本とは思えない一風変わった書名は、作家の嵐山光三郎さんが生みの親である。
嵐山さんと垣添は、東京都国立市の桐朋学園の同級生だ。一橋大学のすぐ近くにある、自由な校風で知られる中高一貫の男子校である。そのせいか、ともに過ごした仲間は結束が固く、2018年8月に東京・有楽町で開いたウォークの終了報告会には、嵐山さんはじめ多数の同窓生が集まった。
嵐山さんは、昨夏、週刊朝日の連載コラム「コンセント抜いたか」で、2週にわたってウォークの話を取り上げてくれた。その題名が「カキゾエ黄門漫遊記」だった。
ウォークはまさに、水戸黄門が諸国を漫遊するかのような軌跡であった。2018年2月に福岡市を出発し、7月に札幌市でゴール。最短距離を歩んだわけではなく、全国がんセンター協議会加盟の32病院を一筆書きのように回る。96日間、総移動距離は3500キロに及んだ。助さん格さんはいないが、行く先々でたくさんの方が同行してくださった。
「おかしいな。北海道から歩きはじめたか」
1年前の2月5日。福岡は大雪に見舞われていた。風も強く、横殴りの吹雪のようであった。ウォークは、自然の洗礼を受けてスタートしたのだ。おかげで、「おかしいな。北海道から歩きはじめたのかと勘違いしました」が、垣添が訪問先の病院で繰り返し語り、その度に笑いを誘う定番ネタとなった。
最初の訪問先、福岡市の九州がんセンターの患者サロンでは、悪天候をついて登場しただけに、ワーッという歓声で迎えられた。集まったがんサバイバーの方たちから、遠く札幌までの第一歩を踏み出したことにエールを送られた。
翌日は一人で歩いた。次の訪問先は佐賀市の佐賀県医療センター好生館。地元のいくつかの患者会、リレー・フォー・ライフ・ジャパン佐賀、日本対がん協会佐賀県支部(公益財団法人佐賀県健康づくり財団)のみなさんなど約100人が集まってくれた。
公益社団法人日本オストミー協会佐賀県支部の方からは、災害とストーマ(人工肛門、人工膀胱)についての話が出た。ストーマは、便や尿を排泄するため、おなかに付ける排泄孔。便や尿は、付け替え式の装具(パウチ)にためる。ところが、地震のときには装具の入手や交換が難しい。2016年4月の熊本地震では、壊れかけた自宅に戻って交換した人もいたという。
佐賀市を後にして、九州の山中を横断して大分市へ。大分県立病院を訪ねて、フェリーで四国・愛媛県へ。四国がんセンターに寄り、今度は瀬戸内しまなみ海道を歩いて広島県へ。垣添同様に妻をがんで喪った83歳の男性と歩きながら、いつまでも悲しみが癒えないという思いを共有した。呉市の呉医療センター・中国がんセンター、山口県の山口県立総合医療センターを訪問して、飛行機で東京へ。
以上が第1弾のあらましである。その後も第9弾まで、途中東京での仕事もこなしながら、全部で9回に分けて歩いた。
福岡県で雪の中を歩く(2018年2月16日)
「がん=死」のイメージを変えたい!
ウォークのメインは、病院などでサバイバーの声に耳を傾けることだった。
「金の切れ目が治療の切れ目になりかねない」
「地方では、がんを隠す傾向がある。医師不足でセカンドオピニオンを取るのも難しい」
「日本はたばこ対策では後進国だ」
「ピアサポートを強化してほしい」
「(治療がつらいという)母に気力を取り戻してもらうにはどうしたらよいか」
「がんと就労をどう両立させるか。治療費の問題にも直結する」
こうした切実な言葉からは、がんをめぐる重要な課題が浮かび上がる。
一方、垣添が訴えたのは、主に3点である。
①がんになると、多くの方が孤立感や再発の恐怖におびえる。がんと診断された人の3人に1人が離職するというデータもある。彼らを支えるために、対がん協会にがんサバイバー・クラブを立ち上げた。100万人が集まる国民運動に育てたい。
②生涯に2人に1人ががんになる時代。5年生存率が60%を超え、もはや「がん=死」ではない。それなのに、社会の理解やサポート態勢は不十分で、偏見も根強い。がんのイメージを変えたい。そのためにも、できればがんを隠すのをやめよう。
③がんが治るようになってきたのは喜ばしいが、治療費がかかるのも事実。国民皆保険制度を守るためにも、まずはがんにならないことが大切だ。予防としての禁煙、早期発見のための検診にも力を入れていきたい。
行く先々で、思いを訴え、思いを聞いた(2018年5月14日、埼玉県立がんセンターで)
歩いたからこそ見えてきた風景
サバイバー支援を訴える幟を持って歩いていると、しばしば、通りがかりの人や車から励まされた。出会った人が寄付をくださることもあった。
また、歩いたからこそ、日本の「今」が見えてきたこともあった。
主要国道でも、都市部を離れると歩道がない。ダンプやトラックが走っている横を歩くのは、特にトンネルでは怖かった。高齢者施設やセレモニーホールが目立ち、超高齢社会や多死社会を実感させた。パチンコ店やチェーンの郊外型店舗が並ぶ風景は、「グローバル化の行き着く先はこれか」と思わせるほど個性に乏しかった。空き家や耕作放棄地、無人駅などからは、地方や農業の将来を考えさせられた。道端に咲いた花、舞ってきた蝶など自然との触れ合いに心が和んだ……。
全区間で、もっとも印象に残ったのは、瀬戸内しまなみ海道だ。愛媛県今治市と広島県尾道市を、瀬戸内海に浮かぶ6つの島をつないで結ぶ道である。サイクリストの聖地としても知られる。青い空、穏やかな海。緑の木々にレモンやオレンジがよく映える。歩いていて気持ちがよい。
島と島を結ぶ橋は、とても立派で、近代科学の粋を尽くした感じがした。感嘆すると同時に、強く思った。
「これだけの橋を造れる人間が、がんに対する理解が不十分で、サバイバーを孤立させたり差別したりする状況は許されない。絶対に変えなければならない!」
しまなみ海道で。後方に見えるのは生口橋(2018年2月17日)
交流会の様子などを中心に内容を濃く
ウォークの期間中は、一言ブログで日々の出来事を報告。歩みを重ねるにつれてテンションも上がってきて、一言どころか長文の日記となることも珍しくなかった。
とはいえ、ブログは取り急ぎのレポートでもある。一冊の本にまとめるには大幅な加筆修正が必要であった。訪問先の病院で開かれた交流会の様子などを中心に内容をさらに濃くした。サバイバーとのやりとりで浮かんできた課題など、同じような話が異なる日付のブログで出ているところは整理整頓した。
また、垣添のサバイバー・家族支援やグリーフケア(大切な人を喪った人にさりげなく寄り添い、立ち直るのをサポートすること)への思いの原点となった、妻の看取りについてもページを割いている。
朝日新聞出版のカメラマンが本に載せる垣添やウォークの七つ道具の写真を撮り下ろしたり、カバーを描いたイラストレーターの金井真紀さんが垣添のイメージを膨らませるためにインタビューを行ったりした(メイキングの様子をスタッフの大石しおりがスタッフ便りにまとめました)。
ウォークはゴールしても、サバイバー支援にゴールはない。
そう考える垣添のもう一つの願いは、がんサバイバー・クラブのさらなる充実だ。現在、がんサバイバーは約700万人と言われ、遠からず1000万人に達するとみられる。
「サバイバーの1割ががんサバイバー・クラブに結集してくれれば、100万人の国民運動として、まとまった声を国や社会に届けることができる。活動資金は皆様の寄付なので、毎月500円でも寄付してくださるマンスリー会員が増えてくれたら、こんなにうれしいことはありません」
おかげさまで、ウォークは多くのメディアに報じられて、NHKのBSプレミアムのがんを特集した番組にも垣添がウォークのスタイルで出演した。今回の書籍化でさらに広まり、社会のがんに対する認識やがんサバイバーへの接し方が変わってくることを期待したい。
ウォークを達成し、本にまとめられたのは、皆様方の多大なご支援のおかげです。心よりお礼を申し上げます。
北海道がんセンターにゴール。月桂冠をかぶせてもらう(2018年7月23日、札幌市で)