2月4日は、世界対がんデー。朝日新聞社と日本対がん協会は、「がんとの共生社会を目指して」をテーマにネクストリボン2019を開いた。第1部は「企業の対策最前線とこれからの働き方」。医療の進歩などで、「がん=死」ではなく、がんは長く付き合う病気になってきた。だからこそ浮上している「がんと就労」などの課題を掘り下げた。
パネルディスカッション「がんとの共生社会を目指して」。率直でアイデアに富んだ議論が展開した(2019年2月4日、東京・有楽町の有楽町朝日ホールで)
「気づく→取り組む→続ける」 基調講演 高橋都・国立がん研究センターがんサバイバーシップ支援部長
第1部は、高橋都・国立がん研究センターがんサバイバーシップ支援部長の基調講演から始まった。
「医療者は、治療を受ける本人を、(社会生活を営む1人の人間であることを忘れて)専属患者と思っていなかったか。もちろん命は最重要事項ですが、その人がどう生きているか、という視点が本当に重要だと思います」
人は24時間、患者であるだけではない。さまざまな活動もしている。その1つが、仕事である。
2012年に策定された、国の第2期がん対策推進基本計画で「就労」が明記されてから7年。厚生労働省が2016年にガイドラインを作成するなど、「治療と仕事の両立」の環境整備は進んできた。
しかし、がんになって、3分の1ぐらいの人が離職している。高橋さんによると、辞めるタイミングには2つの山がある。
1つは治療が始まる前で、約4割の人があてはまる。高橋さんはこれを「びっくり離職」と呼んだ。突然にがんと告知されて、驚いて頭が真っ白になり、冷静な判断ができないまま辞めてしまう状況だ。
もう1つの山は、復職後1年ぐらい。がんばって復職したものの、ハードルを乗り越えられず続かなかったケースだ。
「就労の問題は、年齢、がんの状況、働き方など個別性が高いけれど、ケースバイケースと言っていては始まらない」
国立がん研究センターではこの5年間、がんと就労の啓発プロジェクトに取り組んできた。首尾よくいった個人に共通するのは、「自分の状況を把握し、会社に説明と相談を積み重ね、体験を社会に役立てたいと考えている」ことだ。一方の企業に共通するのは「試行錯誤し、本人の希望をよく聞き、働きやすい会社を作ろうとしている」ことだという。
では、「がんと就労」を両立させるには何が求められるのか。高橋さんは、3つの「乗り越えるべき壁」として、「気づく→取り組む→続ける」を挙げた。
まずは「気づく」。がんになっても働ける。といって、働くことだけがゴールではない。会社との話し合いでは、職場での普段からの信頼関係がベースになる。企業にとっては、本人のみならず周囲の社員のモチベーションや会社の評判も上がる。「就労対策は会社の繁栄につながる経営課題」といえる。こうしたこ気づきが大切だ。
次に「取り組む」。経営トップのコミットメント(関わり)が重要だ。人事・労務や職場が本人の心情を理解し、密なコミュニケーションを取り、あわてず、決めつけない。個人情報を守る。「そこに愛があるか、です」と高橋さん。
そして「続ける」。他社や他者とノウハウを情報交換して、仕組みを改善していく。経験値を蓄積・共有し、がん以外にも応用する。高橋さんはこう結んだ。
「病気はダイバーシティー(人種や国籍、性などを問わず多様な人材を活用すること)の1つです。がん体験は、本人にとっては、社会人としての強みになることもあるでしょう。さまざまな従業員がいる企業は強いのではないでしょうか」
「上司が寄り添うことで、応援する空気が生まれた」 御園生泰明・電通ビジネスプロデュース部部長
基調講演を受けて、当事者として、電通ビジネスプロデュース部部長の御園生泰明さんが語った。
御園生さんは2015年10月、ステージ4の肺がんが確定した(当初は3Bという診断)。
相談した上司は「オープンにしたほうがいい」と言い、「FIGHT TOGETHER」という文字入りの御園生さんのステッカーを作った。上司はステッカーをパソコンに貼ってあちこちへ行く。「それ何?」と聞かれると事情を説明し、ステッカーを渡す。こうして自然と広まった。
また、御園生さんが所属するチームへ一斉メールを送信し、治療の段階に合わせて「病院用の時間の確保」など周囲のサポートが大事なことを伝えた。
同じメールで、「腫れ物に触るのではなく、明るく、『一緒に戦おうぜ』という気持ちを共有して、チーム一丸となってもりたてていきたい。(今回の過程で)チームに大きな財産が残ると思っています」などと書いた。仲間と歩もうという雰囲気が醸成される。
「おかげで、具合が悪いときに1人で抱え込む必要もなくなり、気持ちも整理できました。上司が寄り添うことで、周囲に私を応援する空気が生まれました。治療と仕事を両立していいんだ、という安心感を得られています」
安心感、はキーワードだろう。
とはいえ、落ち込むこともある。そんなとき、湘南ベルマーレのフットサル選手、久光重貴さんの写真を見つけた。御園生さんと同じステージ4の肺がんだが、日本一を目指して、練習と治療を両立している。「こんな人がいるなら、オフィスワークぐらいできるんじゃないか。俺は仕事がしたいんだ」と前向きになれたという。
ステージ4と告げられて3年。仕事を継続できる理由として、御園生さんは、ほかに、①医療の発展、②制度やビジネスツールなどを使って柔軟な働き方ができること、を挙げた。
がんと共存できる時代が来つつある。しかし、世間では「がん=死」のイメージが濃い。そこで御園生さんは、ボランティアで、「写真の力で、元気なサバイバーがいることを伝えたい。そうすれば、周囲の偏見もなくなり、サバイバーも勇気づけられる」と考えた。
先の上司に相談すると、「よし、わかった」と快諾し、社内でチームを組んでくれた。最終的に、資生堂の協力も得てLAVENDER RINGという活動に結実した。
プロのスタッフがメイクやヘアのセットをして、写真を撮る。すでに、フットサルの久光選手ら150人ぐらいが写真を撮ってもらっている。
健康経営は会社の経営課題 日本航空、テルモ
「がんと就労」は企業にとっても重要な課題である。企業側の発言者として、日本航空(JAL)、テルモ、櫻井謙二商店の幹部が登壇した。
最初はJALの副社長で健康経営責任者も務める藤田直志さん。
「健康経営は会社の経営課題です」
JALの企業理念には「全社員の物心両面の幸福の追求」が入っている。「JAL Wellness宣言」を出し、小冊子も作成した。具体的には、生活習慣病、がん、メンタルヘルス、たばこ対策、女性の健康の5つを重点項目に挙げている。
がんについては、「正しい知識を身につける」「検診の受診率向上」「就業時間内の禁煙」「就労支援施策の拡充」「乳がんの啓発」などを行う。
就労支援にも力を入れる。コアタイムなしのフレックス制度、勤務時間選択制度、時間単位での年休取得を実現した。テレワークも可能だ。無理なく復帰できる支援プログラムを作成し、復帰後も産業医などがフォローする。
過去5年間でがんになった社員は220人いるが、治療と仕事の両立が困難という理由で退職した社員はゼロ。藤田さんは、がんを申し出た社員に必ず言う。
「日本航空は全員戻す」
続いて、テルモの竹田敬冶・人事部長にバトンタッチした。
「健康経営は企業の社会的責任。テルモは、医療関連企業として率先して取り組んでいます。経営陣がコミットメントすることが重要です」
健康経営方針の柱の1つが「がんの早期発見、早期治療、職場復帰」だ。
テルモは2017年1月、「がん就労支援制度」を導入した。
①失効した有給休暇の1日単位の利用、②無給休暇の付与、③無給短時間勤務、④最大2時間の時差勤務(前倒し、後ろ倒し)だ。
特に②は、当事者に喜ばれているという。ある年度で欠勤が続くと翌年度の有給休暇をもらえない。無給休暇なら欠勤にならないので、有給休暇は発生する。これは、どこの会社にも応用がきく方策だろう。
会社も社会も支え合わないと成り立たない 櫻井商店
全国の事業者の99.7%は中小企業。「がんと就労」が定着していくには、中小企業でどう実現できるかがカギだろう。
中小企業を代表して、創業87年、千葉県銚子市の食料品の卸売業、櫻井謙二商店の櫻井公恵社長が壇上に上がった。従業員は45人。産業医もいない。
「社員に何か起こったとき、『大丈夫、一緒に考えよう』と伝えます。会社に申し訳ない、と思う気持ちを軽減することからスタートします。そうすると、(治療を始める前に会社を辞める)びっくり離職はまず起こりません」
櫻井さんは、「辞めないで働け」というスタンスではない。「働きたい人が働きやすい工夫」を心がけている。がんをオープンにするかどうかも、本人の気持ちに任せる。
「就業支援にたった1つの正解はありません。経営側は、病気に詳しくなくても、働く側の立場で何ができるかを考えればいいと思います」
櫻井商店では、リハビリ勤務は1日2時間から。1カ月でほぼフルタイムに戻った人もいれば、3年かけた人もいる。有給休暇は2時間単位で取れる。有給休暇の積立制度を作る。退職金の前払いや無利子貸し付けもできる。
同時に、元気な社員に対してもフェアであることを大切にしている。
「ピンチは一致団結のチャンス。小さい会社は、全力でサポートし合わないと立ち行きません。社会そのものも成り立ちません。そう思っています」
「働けるようになったらまたおいで」 パネルディスカッション
第1部の最後は、パネルディスカッションだった。
これまでに登壇した5人を講師に、精巣腫瘍のサバイバーでもある上野創・朝日新聞社会部記者がコーディネーターとなった。あらかじめ出してもらっていた会場からの質問にも答えた。
トップダウンとボトムアップ
上野 会場から、「会社で制度をどのように作ったらいいのか」という質問が出ました。
藤田 JALでは、健康経営が重要だと社内に発信するため、各職場でウェルネスリーダーを募りました。いま280人ぐらいいます。経営からのトップダウンと、現場からのボトムアップの挟み撃ちで、時間をかけて浸透させていきます。
竹田 ここ何代か、人事部長が健保の理事長を兼務しています。就労支援の制度の導入は、会社のメッセージでもある。相談する人も増えました。上司や人事部が「職場で当事者を支えている人をしっかり見る(評価していく)」するも大切です。
藤田 企業には、いろんな社員の多様性を受け入れることが求められています。かつてJALが破綻したときに無報酬で会長に就任した京セラの稲盛和夫さんから、「社員を養うことが経営や。そしてパフォーマンスを上げて利益を上げるのが大事」と教えられました。
櫻井 中小企業は、経験を積んできた社員が辞めてもらったら困ります。そのためにも、どこに相談に行けばいいか、窓口を明確にすることが大事です。
御園生 健康経営と言ってもらえれば、患者は「いてもいいな」と安心できます。
人の体は完全には予測できない
上野 一方で、会場から「同僚から不満が出ないのか?」という質問も来ています。
竹田 難しいテーマです。だが、採用活動していると、最近の学生は、ダイバーシティーや健康経営にも関心がある。いま健康な人も病気になるかもしれない。やるべきことをやれば、安心感につながります。
藤田 「すみません、先に帰ります」ではなく「ありがとう、先に帰ります」「ありがとう、がんばったね」となればいいですね。お互いに感謝の気持ちで仕事をすれば、心が豊かになります。ひがんだり、悩んだりではなく。
高橋 複数の産業医に言われたのは「人の体は完全には予測不可能です」「がん以外の病気でも、育児でも介護でも、100%の力で働けなくなるときが必ずある」です。なるほどと思いました。会社は生身の人間で成り立っている。それを前提にすることが大事です。
上野 周りに伝える難しさは?
御園生 大事なことは2つあります。1つは状況を正しく知ってもらうこと。誤解が広がるのを食い止められるので。もう1つは、応援してもらう空気を作ること。本人が自分の可能性を信じている、と周囲に伝わると、応援されやすいでしょう。
高橋 言うか言わないか、言うなら誰にどこまで。周囲は、本人から言ってもらうと助かります。なぜなら、聞きにくいから。一方で、いかに言いにくいかもわかってもらわないと。
パネルディスカッション。左端が、コーディネーターの朝日新聞社の上野創さん
大切な家族ケア
上野 言いたくない気持ちも尊重しないと。「がんと就労」では、家族も大切です。
竹田 上司も人事部も会社の人間。テルモでは、産業医や心理カウンセラーが家族や本人をケアすることや、本人の了承を得て情報を組織に伝えることもあります。
藤田 十数年前に部下を大腸がんで亡くしました。治療の過程で、本人は「働きたい」と言っていました。亡くなったあとに葬儀で家族(奥さんと娘)と対面したとき、家族へのケアが本当に必要だと思いました。
櫻井 中小企業でも家族が見えるわけではありません。本人の病気でも家族の介護でも、時短、休みを取りやすくするなどのニーズに対応したい。思っていることができる、という配慮が一番大事なのかなと思います。
高橋 私の夫は4年4カ月前にステージ4の胆管がんとわかり、2年前に看取りました。「がんと就労」に取り組んでいる私でさえも、「働いている場合ではない」と本気で思った。何もないと、辞めるほうに気持ちは進んでしまう。夫は主治医と率直にやりとりして、納得づくで辞めたが、あわてて辞めなくても、時間をかける余地があります。
御園生 僕は子どもも2人います。僕が思い通りできている一方で、妻は思い通りにいかない状況があるかもしれない。経営の観点からは難しいかもしれないが、家族にまでケアを踏み込んでもらえるといいなと思います。
上野 背景にいる家族への目配りは大事ですね。
御園生 会社で、サバイバー向けと家族向けにマニュアルを作ったらいいと思います。家族向けには、上司の連絡先も書いておく。
藤田 本人から家族へは会社の情報はほぼ伝わっていないと思われます。家族とのコミュニケーションルート作りは今後の課題でしょう。
制度だけでなく、リーダーを育てることも重要
上野 非正規雇用、派遣社員の方への対策は?
竹田 同じ場で働く人同士が目指す方向を一つにするようにしたいです。
御園生 お金をかけなくても、会社の中で支え合う仕組みを作ることはできると思います。たとえばがんになった人が情報難民にならないような相談窓口を設置し、誰でも利用できるようにするとか。
櫻井 「働けるようになったらまたおいで」と言って休みを取ってもらいます。
高橋 個々の企業ではなく、国としての政策が必要になってきますね。
上野 最後にお一人ずつメッセージを。
櫻井 辞めちゃった社員がいたな、と思ったら、ぜひ電話をかけてみてください。
竹田 テルモでは、がんになった人たちが自主的に集まる場ができています。それが相談のルートにもなっている。非常に重要だと思います。
藤田 確信したのは、職場のリーダーの人間性が大切だということ。経営は制度改革や仕組みを作ることだけでなく、リーダーを育てていく。その努力をもっとしなければと思いました。
御園生 制度はだいぶ整ってきたが、次の課題は風土です。具体的に風土をどうつくるか。一つはトップのメッセージ。一方で現場の交流も大事です。
高橋 会社が手を差し伸べるのではなく、経営課題なのです。働く意欲と能力のある人が、がんや何かの事情で排除されてしまうのは、いかにもったいないか。