千葉県で暮らす小学校1年生の長谷川伊織くんは、生まれたときからWAGR症候群である。患者数が全国で100人~200人という難病だ。腎臓がんを含む4つの症状が特徴。知的な発達も遅く、伊織くんは言葉をしゃべれない。しかし、アンパンマンやお寿司が大好きで、五感を目いっぱい伸ばして歩んでいる。

がんを含む4つの症状
おばあちゃんのお迎えで保育園から帰ってきて、長谷川伊織くんは、お母さんのまどかさんに抱きついた。
「伊織、お帰りなさい!」
「ブー!、ウーッ!!」
「給食食べた?」
「ウー、ウー」
「お歌うたった? ダンスした? お昼寝は?」
「ブー、ウー、ふふふふふ」

伊織くんのランドセル。アンパンマンが付けてある
「ずっと私のことを見てくれない」
まどかさんは、1979年生まれ。千葉県で育ち、青森県の弘前大学医学部で学び医師になり、現在は千葉県内の総合病院で麻酔科の医長を務める。医師であっても、WAGR症候群という病気は縁遠い。「国家試験を受けたときに名前を見たかなあ」という。
だから、伊織くんが生まれたときにも、WAGR症候群とは思いもよらなかった。
呼吸状態が悪く、泣かない。停留精巣と尿道下裂もあったが、手術をすれば治る。妊娠中に女の子だと思い、夏美という名前まで考えていたのは停留精巣のためだったか、と気づいたぐらいだった。
ただ、「伊織はずっと私のことを見てくれない」と気になっていた。散歩に連れ出してもすぐに眠ってしまう。
2013年1月の4カ月健診で、千葉県こども病院の神経内科の医師が口にした。
「この子、茶目がないよね」
黒目がくりんとして大きいなとは感じていたが、虹彩がなかったのだ。散歩ですぐ眠るのもまぶしいからだった。染色体の検査をして、WAGR症候群とわかった。
最低5個ぐらい、腫瘍らしきものがある
市役所からは、許可が出ていた地元の保育園入園に難色を示される。だが、当時の女性園長がこう掛け合ってくれた。
「私が見るから。赤ん坊なんて、寝て飲んで寝て、の繰り返し。現場が見ると言っているのに、なんで市がダメと言うのですか?」
こうして4月から無事に0歳児クラスに入れた。園長先生は伊織くんを可愛がり、「刺激を与えましょう」と年長の子のクラスに連れて行ってくれたりした。
しかし、順風満帆とはいかなかった。喘息があり、月の半分以上は入院してしまう。入院回数は、入園から半年間に6回に上った。

喘息で入院して、1歳の誕生日を病院で迎えた伊織くん(2013年9月)=長谷川まどかさん提供
「私の気持ちなんて、誰にもわからない」
入院したのは年末。伊織くんは1歳3カ月であった。
抗がん剤はカテーテルを通して入れる。当初、カテーテルを入れた直後に中耳炎になったが、抗がん剤治療そのものは比較的順調に進み、3月末に退院し、5月まで治療を続けた。5つの腫瘍は増えもせずなくなりもせず。一部、形が崩れた。
入院中、まどかさんはさまざまな思いにとらわれた。
「入院すると、その倍の時間、発達年齢が遅れると言われているんです。療育、外での体力づくり、目を使った活動……。やらせてあげたいことがたくさんあるのに、できません。院内学級もありますが、就学前の子どもは対象外。全部親が抱えるので、置いて行かれるような気持ちになりました」

2014年5月、抗がん剤治療中の伊織くん=長谷川さん提供
盲学校の運動会で始まりを宣言!
その一方で、伊織くんは、自分なりのペースで成長している。
「坂道を登るみたいな曲線ではなく、停滞してグンッ、の繰り返しですね。特に4歳ぐらいからいろいろできるようになりました。毎日やれば、時間はかかるけど、できます」
トイレは日中は自分で行ける。盲学校に入るときにズボンは前、上着は後ろにボタンを付けた。ボタンの位置を頼りに着替えもできる。「洗濯するよ」と声をかければ、洗濯物を入れる箱を持ってくる。
好物の納豆が冷蔵庫の一番上に入っていることも押さえていて、庭の草むしりをしていたまどかさんがふと視線を感じて見上げると、窓際に立って、納豆を手づかみで食べている伊織くんがいた。
まどかさんが朝目覚めると、伊織くんの食器セットがお盆の上に出してある。最近はまどかさんの茶碗も用意する。「お腹すいたよ」と行動で示しているのだ。
盲学校の2018年秋の運動会では、みんなの前で始まりを宣言した。先生と一緒に朝礼台に立ち、はりきってお辞儀をする。
先生「これから」
伊織くん「バー」
「平成」「バー」「30年度の」「バー」……。
保育園の12月の発表会では劇「不思議の国のアリス」に、帽子屋の役で出演。両側から男の子と女の子に手をつないでもらい、演じきった。
それまで保育園の行事を見る度に、ほかの園児との差を実感させられてつらかったというまどかさんも、誇らしかった。伊織くんにとっても楽しい思い出だったのだろう。iPadに入れた劇の動画を何度も見ている。


伊織くんが意思表示に使える数々のカード
一軒家は伊織くん仕様

ヒューケラ、ティアレラ、西洋オダマキなどが咲く庭。手前の緑はクリスマスローズ、アナベル=長谷川さん提供
子どもは親の想像を超えたことを成し遂げる
まどかさんは、患者家族会「日本WAGR症候群の会」(2012年9月設立)の代表も務める。
家族会員は15世帯。交流や情報交換、会報の発行のほか、医療・福祉・教育の関係機関に働きかけたりする。ホームページでは、一般向けのわかりやすい解説と同時に、医療者や研究者へ向けた記述も載せる。東京女子医大の山本俊至先生と面談を重ねて、2015年には、山本先生が作成したWAGR症候群の診断基準が日本小児神経学会に公認された。
2018年の交流会の会場は山梨県。1泊2日で、7家族が集まった。まどかさんの幼稚園時代からの親友も、栃木県から来てあれこれと手伝ってくれた。状況を根掘り葉掘り聞く代わりに、「いまこのCDがいいよ」と送ってくれるような友人だ。
会の子どもたちの症状は人によって違う。
「最初は、伊織もああいうふうになれたらいいな、などと思いましたが、3年ぐらい前から、伊織は伊織で一生懸命やっているからいいや、と思えるようになりました。それからは気持ちが少し楽になりました」
日本WAGR症候群の会は、国際的な患者家族支援団体(IWSA)ともつながっている。まどかさんは伊織くんが2歳のときに、米国で開かれた会のキャンプに連れて行った。英語で伝えられる最新情報は、日本の会員たちにフィードバックする。
悩みがあると、海外のフェイスブックに書き込む。すると、世界中の人から助言が飛んでくる。中でも印象に残っているのは、次のような言葉である。
「親が子どもの限界を勝手に決めてはいけない。子どもは絶対、親の想像を超えたことを成し遂げてくれるから」
夢は2人で海外旅行
何かと手助けしている祖母の蝶朱美さんは、こう語る。
「手拍子したり、ダンスしたり。首を振れるようになっただけでも喜びでした。小さなことがすごくうれしく、幸せを実感しています。それに、伊織がいることで周囲の子どもたちもいろいろ学んでくれる。伊織は貢献しているんです」
まどかさんは北海道で医師になった20代のころ、中学ぐらいからの写真をすべて、捨てたことがある。2011年3月の東日本大震災の日、千葉県の海沿いの病院から信号も消えた真っ暗な町を帰り、とても怖かった。「守る者がほしい。守る者があれば生きられる」と強く思い、夫婦で不妊治療を開始した。そして、伊織くんを授かった。
まどかさんの夢を聞くと、最初にインタビューした日には、
「伊織が、彼なりに自立して、愛される環境の中で、自分で物事を選んで生活すること。たとえ親がいなくなっても、今の笑顔を失わないで」
と語った。
盲学校を定年した先生に「可愛い、可愛いで済まされるのは小学校3年生までよ」と指摘されたことがある。いずれは個を確立しなければならない。この先生には「手をかけるほど、それだけのことが返ってくるわよ」とも諭された。
二度目のインタビューのときにはこう明かした。
「いつ腫瘍ができるかわからない。腎臓が悪くなるかわからない。綱渡りの病気です。だからこそ、本当の夢は、10代後半になった伊織と2人で海外旅行に出かけることなんです」
そこには、その年齢まで元気で、かつ自立していてほしいという願いも込められている。

腹時計の正確さが証明された
2019年4月9日、伊織くんは小学校に入学した。
1年生は15人。うち11人は保育園時代からの仲間だ。まどかさんが懸命に交渉して、国語と算数以外は、普通学級で過ごせることになった。

小学校に入学してどこか誇らしげな伊織くん=長谷川さん提供